5年とか20年とか
5年前の今頃、僕は故郷である佐賀県基山町にいた。町の図書館が新しくなって、その記念に漫画「キングダム」作者の原泰久くん(高校の後輩だ)とトークイベントに出演するためだったのだけど、実家でとても大きな地震に遭遇。熊本で震度7、佐賀でも5以上の揺れで、真夜中過ぎから朝までずっと余震で町のスピーカーから警報が流れ続けて眠れなかったことを思い出す。なんとか翌日の図書館でのイベントは開催され、その次の日は福岡のカフェで不安ななかでライブをした(交通機関が止まってご来場できないお客さんも多かった)。ついこないだだと思ってたけど、5年くらいの年月はあっという間に経つ。過ぎ去りしコロナ禍を「あのときはこうだった」と懐かしむ日が来たりするのだろうか。ずっと只中にいるから想像がつかない。
GOMES THE HITMANの『cobblestone』を作っていたのは今から22年前。インスタライブで「自転車で追い越した季節」歌うとき「僕はまたひとつ年を越す」というフレーズが唇を離れたときに杉真理さんと一緒にスタジオで過ごした1999年の大晦日のことを思い出した。2000年問題、Y2K問題というのが噂され、1999年から2000年になるときにコンピュータがバグったり予測不能な事態が起きるかもしれない!といろんな現場が色めき立ったものだ。僕らもスタジオ(一口坂だったかな)の電源をすべて落とし、エレベーターも止めて、ニューミレニアムに何が起こるかを固唾を呑んでドキドキしながら待ったのだけど、結局なにも起きなくて、「明けましておめでとうございます」と笑い合う1年の始まりだった。スマホもノートPCもSNSもなかった時代だから記憶の詳細が不明瞭だけど、ぼんやりと浮かび上がる当時のこと。そんな大晦日からお正月にかけての日程で作業しないといけないほど忙しかったのかしら、とかいろんなことを考えながら「ダバダバダー」と歌った。
水曜日のインスタライブ最新回アーカイブは
インスタグラムIGTVに。今週から『cobblestone』に突入。

Posted by monolog at 23:44│
Comments(2) │
フレーズが唇を離れたとき、というフレーズが美しいです。いろんなモノに溺れそうになって必死にもがいていた1999年の自分に、20年くらいしたらイイコトあるよって教えてあげたい。
山田さんがミレニアム当時を振り返り、それぞれの脳裏にいろんな映像が流れた瞬間(=^・^=)
ずっとドキドキ、&笑いに包まれていたような
ギリギリセーフでカートリッジガスを買ったり、、、
ドキドキでした
年明け、会社ではPC使い始め、慎重に手順をとったり、、、とか
OK待ち とか
肩すかし。 いや、まだ気を抜いちゃダメ という姿が😆