実家のある佐賀県基山町、山深い福岡との県境に近い「古屋敷」という集落があって、そこはうちの母親の出身地だ。いつかアンコール配信として再配信し、今でもなんとなくずっとそのまま閲覧できるようにしている「TRAVEL IN MIND in 佐賀県基山町」というプログラムでも冒頭でお墓参りに山を昇って辿り着く場所がそこ。途中から携帯の電波がなくなるので旅人が気軽に立ち寄るような場所ではなく、現在は限界集落となって住んでいる人はほんの1世帯になっているが、母方のお墓があるので里帰りするときは必ず立ち寄る。
そこに「古事記」に登場する木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祀る「此花宮」という、1765(明和2)年に創建されたという神社があったのが老朽化で近年いつ倒壊してもおかしくないほど朽ち果てていたのをその集落の出身者や有志が協力して小さな祠を再建したのがついこないだ。うちの母親からもその進捗がテンション高めに報告されてきたから、今回の帰省旅の最たる目的はその新しくなった祠を詣ることだった。
祠はすべて手作りで再建、高齢の方でもお参りしやすいように石階段を登った山の上にあった本殿のこま犬や鐘、灯籠なども丁寧に手入れして、鳥居のある境内に移転再建されていた。祠を覗くと歴史の堆積を感じさせる御神体。子どもの頃から慣れ親しんでいた神社にこんなものが祀られていることを大人になって初めて知った。石階段を登ると今にも倒壊しそうな神社。これを作り直すのはきっともう無理なのだろうな。実はこの祠再建、先頭に立ってことを進めたのは先述したYoutube「TRAVEL IN MIND in 佐賀県基山町」で僕と奇跡の三線セッションをした長野和幸さんだった。和幸さんのバイタリティよ。
風の音しかしない場所。子どもの頃、小学校中学年くらいまでは週末になるとよく泊まりにいって、文字通り山や川を駆け回って遊んでいた頃を思い出す。カブトムシやクワガタ、ホタル、ハヤを釣ったり、木の実を取ったり。大きく見えた鳥居もいつからか頭が届きそうになった。この集落に伝わる、知らないことがたくさんある。今うちの母親はこの集落の歴史についてを語り合う集まりを不定期に行っているらしい。「人と会って話すと忘れていたこともいっぱい思い出す」と言っていた。ぜひ何かしらの書物にしてもらえたら、と思う。この場所がもう一度栄えたり賑わったりすることはないと思うけれど、誰かに思い出してもらえたり、せめて消滅しなければいいなと思った。
11月は神無月、日本中の神さまが出雲に集う月だとされる(だから出雲地方だけは神“在”月となる)。今週末26日(日)に出雲へ出張した木花咲耶姫が無事に祠に帰れるように火を焚いて迎える、というかつて夜通し行っていた行事を有志が集まって再現するそうだ。うちの母親は“世話人”という役職を与えられて、さて何を担当するのやら。関わっている人たちがみんなとても楽しそうなのが印象的で、僕も故郷の歴史について少し興味が出てきたところ。
秋の色がとてもきれいだった。次は年明けにまた立ち寄るつもりです。