2023年08月13日

8月13日

8月13日は母親の74回目の誕生日でした。

もう自分もいい歳なのでそろそろそれなりにちゃんとしたお祝いを送らないとなあとぼんやり考えていたのですが、その母が先月逝去しました。唐津でのコンサート直前の突然の出来事で、コンサート前夜にお通夜、ライブ当日の午前中に告別式、親族と近親者での家族葬で送りました。父親のときもそうでしたが、目の回るような慌ただしさで様々な手続きに奔走し、それでも旧唐津銀行でのコンサートと唐津市近代図書館での演奏収録を予定通り完遂できたことは、晩年僕のSNSやライブ配信等を楽しみにしていた母に対する親孝行だったかもしれません。8月に入って長崎でのコンサートの後ふたたび佐賀に数日滞在し、母が住んでいた部屋の遺品整理と掃除、退去手続き、最後まで母の足となった軽自動車の廃車手続きを済ませて帰京しました。

この10年くらい体のいろんなところが悪くて「わたしは病気のデパートたい」と笑っていた母ですが、昨年まで保険外交員の仕事で鳥栖基山と駆け回って、その力を使い切ったのかもしれません。仕事を辞めてからはベランダ園芸と趣味の料理、定期的になんだかわからない食材が冷凍されてクール宅急便で届く1年でした。この数年は可能な限り帰省して様子を伺ったり毎日LINEのやりとりをしたりしていました。自分は最後まで母親に優しくできなかったという後悔がありますが、ここ数年続けて地元の大きなホールで歌を歌う機会があって、一人息子を友だちに自慢したりちょっとだけ誇らしく思わせることくらいはできたかもしれません。お別れのときにたくさんの職場の若い後輩の皆さんが号泣しているのを見て、母には母の毎日の暮らしがあったのだなと改めて気付かされました。

母がいなくなってから、少し前に送られてきて冷凍庫で凍っていた母のカレーを温めて、最後の手料理を味わいました。僕の手元には少しの写真と仕事のときに使っていたであろう母の名前が刻まれたボールペンが残りました。実家がなくなってしまったけれど、あれこれ理由をつけて佐賀にはこれまでどおり里帰りしようと思っています。やっぱりこの数週間でちょっと疲れて果ててしまって、いろんなスケジュールが先延ばしになったり、一旦保留になったりするかもしれませんが、こういう事情があったということをご理解いただけたら嬉しいです。

母との最後のメッセージのやりとりは「ライブがんばって!」でした。これからも自分ができるかぎりのことを頑張りたいと思います。

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僕の手帳にいつも挟んである母の若い頃の写真と遺品整理で出てきて初めて目にしたパスポートの写真です。

Posted by monolog at 23:14│Comments(0)