2024年02月02日

アイが大きい基山町音楽祭(2024年1月28日 @ 佐賀 基山町民会館 大ホール)【ライブ後記】

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4年目となる故郷佐賀県基山町での「基山町音楽祭」のために前日のうちに里帰り。一番大きな変化は実家が存在しないこと。ソウルフードである丸幸ラーメンを食べに立ち寄ったり、町をなんとなく車で流したりしてみる。親戚やお世話になった方に声をかけたり、「夕暮れ田舎町」に登場する“小高い丘”(上の写真)を眺めたり、「山で暮せば」の山に登ったりしているうちに帰ってきた感覚を取り戻すことができた。

ライブ当日は朝から会場入りしてリハーサル。基山町民会館の大ホールは本当に響きが素晴らしい。いつもこんなホールで歌を歌ってたら“こぶし”を回すような歌い癖になるのかな。本番で歌う予定のない曲まで気持ちよく歌ったりして。いつ優しく朗らかに迎えてくれる音響スタッフさんたちに感謝。コンサートが始まる前から僕の控室には母親の友人の方々や親戚がたくさん訪ねてきてくれた。みんなが「おかえり」と声をかけてくれるから“実家がなくなった”という思いはどんどん薄まっていく。開会の挨拶のときに松田基山町長が僕の母が昨夏亡くなったことを追悼してくれて、親孝行って親がいなくてもできるんだなあと感じました。本当にありがたい。

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5時間越えの長いイベント。僕が歌うのは最後の最後なのだけど、町民の方々の演奏のあとに感想を述べたりおしゃべりをしたりでずっとステージのそばにいた。みんな一生懸命で本当に素晴らしい。もうひとりのゲストパーカッション奏者の佐藤唯史さんも皆さんの演奏に加わったり大活躍されていました。

たっぷりと町民の皆さんの演奏を聴いたあとで、いよいよ僕のステージの番がまわってきた。1992年に故郷を出て32年、大学2年のときにはもうGOMES THE HITMANを始めて、今年でデビューして25周年ということで、バンドで最初に出したCDの1曲目「僕はネアオコで人生を語る」を歌った。人生は続くのだ、カレンダーのように。「月あかりのナイトスイミング」の点滅信号の風景は基山のイメージ、この歌をこの大きなホールで歌うと自分がオペラ歌手になったみたいな気分になる。

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このコンサートの1週間くらい前に、母親のお姉さん、僕にとっての叔母さんから電話があって、「トシアキ、こんどのコンサートで…」とタカコおばちゃんは何かをひらめいたような声で「島津亜矢さんの『母ごころ宅急便』っちゆう歌ば歌わんね、お母さんに捧げて」と言うのだ。「えええ…?」と困惑するオレ、Youtubeでその歌を聴いてみるも自分が歌うような歌ではない。これは島津亜矢さんが歌うからいいのだ。そういうやりとりがあったので1曲なにかカバーを歌おうと思って、あれこれ考えた。去年は加山雄三さんの「君といつまでも」ですごくウケたし。僕の母は40年近く保険の外交員をやっていたのだけど、その会社のCMソングとして流れて、母も好きだった小田和正さんの「たしかなこと」を歌うことにした。あらためて言葉を噛み締めて歌うと本当に良い曲で、歌いながら感動しました。

続けて「手と手、影と影」も自分の声がスーッとホールの扉を開けて外へと飛び出していく感覚があって、とても気持ちよかった。客席の皆さんも固唾を飲んで見守ってる感じがした。パーカッション奏者の佐藤唯史さんと当日の朝にリハーサルして「ブックエンドのテーマ」を共演。佐藤さんはカホンで、リズムを乗せてくれる。バンドでの演奏と弾き語りとの合間の絶妙なテンションで歌えた気がします。みんなが元気で、そして幸せでありますように。最後は来たるべき春を思って「tsubomi」。もう梅の花の蕾は開いて咲き始めています。桜はまだかいな?

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終演後もたくさんの方に声をかけてもらって本当に忘れられない一日になりました。帰る場所があるっていうのは本当に幸せなことだなと改めて思いました。すべてに感謝。母にも。


Posted by monolog at 23:39│Comments(0)