翌朝早くに目覚めて車を見に行ったらやっぱりそれは夢ではなくて悪い現実、フロントバンパーがガバッと外れかけていたのだ。例えるならば、怪力男にバンパー部分をぐいっと引き上げられた感じナンバープレートが空を仰いでいる感じ。かなり「やっちまったな」感があるし、何よりこれで無事に走れるかどうかもわからない。僕の力ではバンパーは元の位置に戻ることもない。一旦ホテルの部屋に帰って、とにかく一回JAFに連絡してみることにした。朝の8時前なのに2コールで電話を受けてくれる。淡々と僕は状況を説明、自分がとても冷静なことにびっくりしたが、きっと一晩頭を寝かせたからだろう。
「見てみなければなんとも言えない」と至極まっとうなことを優しい口調で伝えるオペレーター。電話をして40分くらいするとJAFのロードスタッフの方が1名来てくれた。東京から名古屋に来て、今日これから大阪に行って、それから帰京するまでこの車は走らないといけないことを告げると「まあ、やってみましょう」とJAFさんは曲がったバンパーを精査し始めた。その手際はまるで魔法のようで、おかしくなっていた関節をポキポキと元の場所に戻すような感じで、ときに力を込めて、外れたバンパーをなんの道具も使わずにしかるべき姿へと、長い長い時間をかけながら戻していくのを、僕はずっと汗をだらだら流しながら眺めていた。「わあ!」とか「すごい!」とか感嘆の声でせめてもの声援を送りながら。
「バンドをやっててライブで来てて、だから今晩もライブがあるから走らないといけないんです」とかなんとか、JAFさんに身の上を打ち明けながら「そりゃ治らないと大変だね」と同情も買う作戦で、1時間ちょっとかかっただろうか、果たして僕の車のフロントバンパーは顎が外れたみたいになっていたのがまったくその気配すら垣間見えない姿に戻ったのである。これだけ頑張ってもらって助けてもらってお代金はゼロ、JAFって本当にすごい。
「今まで助けてもらったJAFのなかで、最高の神様でした」と握手を求めると、「手、汚れますよ」と辞退され、かわりに僕はコンビニで買ってきた凍ったペットボトルのお茶を差し上げた。念のためゆっくり気をつけて走るように、と何度も忠信されたことが今回の旅を安全運転できた要因だった、と今振り返ると思えてくる。車はなんとか走れることになった。僕は朝から炎天下でドロドロになって、もう一回シャワーを浴び、チェックアウトを1時間伸ばして休息をとり、11時に大阪へ向かって出発することに。今頃みんなはうなぎを食べたり、コーヒーでも飲みながら新幹線の車窓を眺めたりしているのだろうか。
写真は「あ、これプレゼントです。気をつけて」と別れ際にJAFさんがくれた消しゴムJAFカー。僕はこれをずっと見えるところに飾っておく。ありがとうございました。(本編へ続く)
