全26曲2時間半のステージを2晩やり遂げて明けて月曜日は東京へ戻る移動日。緊張の糸も解けて、時計にしばられない自由な時間をどうしようかと考えて、まずお墓参りに行くことに。そのことについては数日前に「父を想う旅」というブログを書いたのだけど、その文章を再構成しつつ旅日記を以下に補完したいと思います。
大阪からの戻り日。時間にしばられない行き当たりばったりの旅。まず親のお墓参り、ついこないだ来たばっかりだけど「あら、あんたまた来たのね?」と言われるくらいには回数を稼いでおきたい(お墓マイレージも貯まる)。今回はあらたまって花を買って供える。ちょっとした親孝行気分。
難波方面へうろうろ。オタクロードなるエリアがあるそうで、東京で言えば秋葉原とか?中古レコードショップがいくつかあったのでしばし散策。しかしまあ、とにかく暑い。もう夏のツアーは無理かもしれない。詫間という人気のうどん屋さんで冷たい麺を食べて腹ごしらえ。さあ、そろそろ帰ろうかな、どうしようかな。
うちの父親が元気なときから死ぬまでずっと夕ご飯を食べていた小料理屋が門真市にあって、僕も父を見舞うたびにいつもそこでお好み焼きをいただいていたのだけど、あれから5年が経ってまだそのお店が存在するのかどうか気になっていた。というのも父が晩年に「ママは元気そうに見えて悪い病気が見つかったらしく、そのことをオレにだけ告白したんや」と言っていたから。その小料理屋で僕は歌を歌ったこともあるし、父のお葬式のあとに仲間内みんなでしんみりとお疲れ様会をやったりもした。
一旦高速に乗ったにも関わらず、その街の近くを通ることがわかったので急遽下道に降り記憶を頼りに訪ねると、果たしてその場所に見慣れた店構えを発見。基本的には夜しか営業しないお店だけど、扉が開いていて、のれんをくぐって覗き込むとママさんの姿が。「誰かわかります?」と言う僕に「あらまあ!山田さんとこのお兄ちゃん!どしたん!わあわあ」と大阪のおばちゃんらしくわなわな迎えてくれて、とても嬉しかった。ちょっと泣いた。父親のお店(中古車屋)だった場所は牡蠣小屋みたいなテント居酒屋になっていて、賑やかそうでよかったね。一時期月に2回以上通ったこの街は思ってたより全然変わっていなかった。映画「エリザベスタウン」みたいな、父を想う時間でした。今後はまたゆっくり、お好み焼きをいただきに寄りたいと思います。
この時点でもう午後3時をまわり、気温は37度くらいになっていた。東京に着くのは真夜中頃だろうか。走っても走っても果てしない道、僕は暑さのせいでかなりくたびれてしまっている。ポール・サイモンの名曲に「Slip Slidin' Away」というのがある。「目的地が近くなるほどスリップしてスライドしていくのさ」と歌われるが、まさに帰路のドライブは「Slip Slidin' Away」であった。
黄昏時になってようやく厳しい日差しから逃れられて、僕はサービスエリアで少し仮眠を。「少し仮眠を…」のつもりだったのだけど、僕はこんこんと眠ったみたいで目覚めたら夜の10時になっていた。もう今日無理・・・、ってことで東京へ帰るのをあきらめて静岡のどこか知らない街のホテルに身を委ねたのでした。目的地が近くなるほどスリップしてスライドしていくのさ。僕が東京に戻ったのが大阪公演翌々日の火曜日だったということもメンバーは知らない、ここだけの話です。