なぜママンがチミちゃんのお母さんだということがわかった経緯を知らない方も多いと思うので説明したい。2014年の9月に我が家の庭に現れたポチ実を保護して数週間後に初めてママンが塀伝いにやってきた話は最初の回に書いた。さらにその翌月、僕は近所の電信柱に探し猫の張り紙を見つける。その猫はチミと同じくらいの年齢なのでチミの兄妹に間違いないと思った僕は張り紙にかかれていた番号に思い切って電話をかけてみた。するとその仔猫はその後無事に見つかり保護された!というので嬉しくなった僕も先方も「兄妹だと思うので対面させましょう!」と盛り上がって、その仔猫を連れてうちに遊びにきてくれることになったのだ。東京で暮らして20年以上経つけれど、初めてご近所さんと仲良くしている自分に驚く。猫のおかげで。このへんの出来事は10年前に書いた「猫騒動」というカテゴリのこのあたりに詳しい。インスタのリンクが外れたりしていますがお時間あるときにお読みいただけたら。
果たしてチミちゃんとチミオ(と僕が名付けたけれど実は女の子で、先方ではソラミちゃんと呼ばれていた)は対面するわけだけれど、お互い仲良くするわけでも再会を喜ぶでもなく、猫の血縁意識というのがすぐになくなってしまうことを知ったのはこのときだった。反対に人間同士は賑やかなおしゃべりが盛り上がった。このチミオがチミママに顔も模様も瓜二つだったのでその話をすると、「その猫はこのあたりでずっと仔猫を生み続けている子です」という言葉が返ってきた。「去年も仔猫を産んで、その猫は〇〇さんが保護しました」とかなんとか、この町の猫の歴史を知る。チミもチミオも、もう一匹サビオというサビ猫もあとで登場するのだけど、みんなママンが産んだ子で間違いないという。ご近所ネットワークの猫情報ほど確かなものはない。お隣のご夫婦の家の軒下でもママンが仔猫を産んだことがある、という話も数年後に聞かされた。そう考えるとママンは何歳なのかわからなくなる。14歳だという説と、13歳という説。僕はでも、ママンはまだ12歳だと思うんだけど。
ママンが最後に子を産んだのは2015年の春だ。身籠ったママンを心配していたらいつのまにかお腹がぺちゃんこになっていて、ご近所に住む音楽家近藤研二さんが空き家の軒先でママンと仔猫たちを見つけて教えてくれた。その年はママンと同じ模様の仔猫が2匹、チッチとミンミと名前をつけた。ママンは仔猫のすぐそばでこちらを警戒する。チミちゃんもママンにこんなふうに育てられたんだろうなと見つめた。その仔猫たちはむさしの地域猫の会に保護されて2匹とも一緒に里親が見つかって、ママンは捕獲されて不妊手術を受け、また僕らの街にリリースされて晴れて地域猫となった(その後半年間姿を消すのだけどその話はこのあたりに)。ご近所で猫を飼われているおうちとはだいたい面識があって、いつも情報交換をしている。今では当たり前のことのように感じるが、チミママにまつわる話をご近所から聞くまではこんなコミュニケーションはなかったなあと10年前を思い出す。ポチが病気になったときも天国へ旅立つときもこの町でポツンとして、とても孤独でさびしかった。今は知り合いがいっぱいいて心強い。猫が引き寄せた縁である。
ママンがチミちゃんのお母さんなのは、そういうわけなのです。(気まぐれに続く)