2004年08月20日

オリンピックと思い出ぽろぽろ2

040820-111605.jpg先日のレコーディング中リズムを録音するセッションのあいだロサンゼルス五輪('84)とシドニー五輪('00)の間の3つの五輪開催都市名を思い出す、という記憶ゲームをやりました。'88年のソウルは簡単だったが僕は'96年のアトランタを思い出せず(アメリカは2回もやっててずるいな)、アッキーは'92年のバルセロナを最後まで思い出せなかった。ソウル五輪とバルセロナ五輪の間の大部分僕は九州の田舎で高校生で、その頃のことを最近よく思い出します。

さて、体育祭で応援団をやることになった高3の僕たちは夏の盛りに練習を開始しました。僕らは3年2組(私立文系クラス)だったのでB団という名でチームカラーは黄色ということになった。誰かがどこかで手に入れてきた、応援団が有名な高校の体育祭のビデオを学校からチャリで1分の僕の家でビールを飲みながら(発泡酒なんかなかった時代)団長のSを中心にみんなで研究の日々。

チームカラーが黄色ということは虎、タイガーっぽさを出さなきゃならんだろう、とテーマも決まっていきました。学校は中高一貫の新しく出来た進学校だったが、僕らは2回生として高校から入学しているので(一学年上に先輩がいただけ)伝統というものがまったくなく前例に習うということもない。

僕はHくんとふたりで太鼓担当だったが、太鼓を響かせるのが案外難しい。太鼓のふちと皮の部分でリズミカルなパターンをいろいろ考えた。女子チームは団長が着る紋付ハカマなんかのデザインを開始、絵がうまい人は大きな虎の絵の立て看板を塗り始めた。夏休み中に学校で夏期講習という名目で午前中勉強し午後から遅くまでおのおの体育祭へ向けての作業をしていた当時の夏を思い出すといろんなことがあったはずだけど楽しかったこと以外は忘れてしまっている。

例えば、視聴覚教室で振り付けの練習の途中でギャアギャアふざけて遊んでいたらNくんがグーでガラスを殴ってしまいバックリ手を切って保健室では手に負えないので病院に連れていった。ガラスを片付けていた別のNくんもなぜかまた手を切ったので後を追うように病院へ。そんな状況でもみんな何か面白くて楽しくてゲラゲラ笑っているような夏だった。続く
Posted by monolog at 11:25│Comments(0)TrackBack(0)

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