はじめに
我が家の愛猫ポチ実との朝は忙しい。いきなりお腹の上にどんと飛び乗ってきて、濡れた鼻を顔に押し付けて僕を起こし、「アタシを陽当たりのいいベランダへ出せ! にゃーにゃー」とねだる。逆に僕のほうが早く起きたときは、忍び足で眠るポチ実に近付いて驚かして、起き抜けの三回のあくび――いつも決まって三回なのだ――を携帯電話のカメラで激写するグラビア撮影の時間。
うちの猫になって三回目の春を迎えようとするこの頃は、わが家の小さな庭の梅の木に咲いた花をついばむ鳥たちを見つめて、どうにかして捕まえられないものかと匍匐前進する姿が微笑ましい。猫と暮らす日々には、毎日些細な変化がある。昨日と今日が同じようでいて少しずつ違う、というのがいい。
二〇一四年の夏に、十三年間一緒に暮らした三毛猫ポチを腎不全で亡くした。ポチは僕の相棒、宝物、やわらかな宝石だった。今まで生きてきたなかで一番大きく深い悲しみを味わい、身体が痛くなるほど落ち込んで、ありったけの水分は涙になって失われてカラカラに干からびた。
そんな僕の打ちひしがれた姿を見かねたのだろうか、ポチは二ヶ月半たった秋の始まりに、魔法をかけて奇跡を起こす。ポチの生まれ変わりとしか思えない三毛の仔猫が庭にひょっこりと現れた瞬間、時間が止まったままだった僕のモノクロームの世界が、総天然色に変わった。一週間かけて仲よくなって、満月の夜に保護したその仔猫が、今朝も僕の足元にまとわり付いて「退屈だから楽しませろにゃー」とせがむポチ実だ。
猫と暮らしている人には満場一致で同意していただけると思うのだけど、僕らは猫の可愛らしさに〈慣れる〉ということがない。外出から戻ったときに玄関先で迎える猫の姿を「嗚呼、可愛いな」と思うし、日向の窓際でうとうとと舟を漕ぐ姿は言うまでもなく微笑ましい。庭先で洗濯物を干しながらふと見上げたベランダから顔を出して、僕を見下ろすポチ実は身悶えするほど愛くるしくて、手を伸ばして何度も名前を呼んでしまう。猫との生活では、こういう〈可愛い〉が日めくりカレンダーのように続くのだ。
ある時期から僕の猫への溺愛ぶりは歌詞やCDジャケット――僕の生業はシンガーソングライターだ――、さらにブログやSNSを通じてとくとくと溢れ出していった。「もう山田は音楽家っていう以前に、完全に〈猫の人〉だよなあ」と友だちに呆れられるほど。
しかし猫をきっかけに繋がる縁や出会いというものがたくさん生まれて、〈媒体=メディア〉としての猫の持つ魅力、威力にはいつも驚かされる。普通ならいくつかの段階を経て築くような友好関係を、猫好き同士なら一瞬で結ぶことができたり、初めて会う人と猫のことで泣き笑いすることも少なくない。ポチの訃報を心から悲しみ、ポチ実の登場を手を叩いて祝福してくれた人たちが、携帯電話やパソコンの画面の向こう側にもたくさんいた。それは僕にとって、予期せぬ救いであり喜びだった。
二〇一五年の秋に、初めての本を上梓した。猫にまつわるあれやこれやを書いたら、自分の半生を振り返る私小説になった。そのなかで主人公の〈僕〉は「人間には、猫と暮らす人生と猫と暮らさない人生、その二つしかない」とつぶやくのだけど、これは僕自身の心の声に他ならない。猫と暮らすにはペット飼育可能な住居や、それなりの出費が必要だ。お気に入りの絨毯には毛玉を吐かれるし、長い旅行はできない。人間よりも早く歳を取るから先に逝くことを覚悟しないといけないし、旅立ちを見送るのはつらく悲しい。
それでも猫がいると一日に何回も笑って、他愛ない会話を交わし――言葉は絶対に通じる!――、日々楽しくて、毎日が面白い。だから僕は猫のいる暮らしを選択するし、「猫と暮らしてみたいんだけど」と迷っている人がいればその背中をそっと、しかし力強く押すようにしている。
猫と人間は、お互いに惹かれ合ってパートナーになる。一方通行の意思ではその関係が成り立たないことを、猫と暮らす僕たちは知っている。ときにクールに見えるけれど、猫は純粋で無邪気で、正直に生きる美しい生き物だ。その真っすぐな瞳を覗き込むときに、僕らは全身全霊を捧げたありったけの愛で、その可愛らしさに最後まで対抗しなければならないという宿命を負うのだ。
好きなものを好きだと宣言することに、僕はもはや何の躊躇もない。もちろん一番可愛いのは我が家の愛猫なのは譲れないけれど、世界中すべての猫が幸せでありますように、と今心から思えるのは、SNSに端を発する猫好き同士の連帯感から生まれた賜物かもしれない。
冬毛でモフモフのポチ実のおなかに顔を埋めて、深呼吸するのが最近の日課だ。「おまえ、ちょっと太った?」と問うと面倒くさそうに立ち上がって伸びをして、しゃなりしゃなりと日向の窓際まで移動して、時間をかけて毛繕いをする。その姿を、僕は今日もぼんやりと眺めて幸せな気分になる。愛猫との、親子のような、恋人同士のような、かけがえのない時間がずっと続けばいいな、と毎日願っている。
僕は猫が好き。猫と暮らす人生は、かくも素晴らしい。
山田稔明『猫町ラプソディ』(mille books)より転載
九月に入ってすぐの朝だった。前の晩は下北沢でライブがあり、夜遅くまで音楽仲間と打ち上げをして少し飲み過ぎた。寝ぼけた目をこすりながらリビングのブラインドを引きあげると、サッと小さな影が視界を横切った。目を凝らすと、紫陽花の木陰に身を潜めてこちらの様子をうかがう子猫の姿が見えて、僕はいっぺんに目が覚めた。
ガラス窓を爪でトントントンと叩くと、子猫はさらに目をまんまるにさせて警戒した。そして恐る恐る木陰から這い出てきたその子猫を見て、僕はびっくりしてしまった。大きさからすると生後ニ、三ヶ月というところだろうか、それはポチに瓜二つの三毛猫だった。
「信じられない・・・」
思わず口をついて出るひとり言。茶、黒、白の毛、そしてきれいな縞模様、小さな身体、尻尾はすらっと長い。僕は夢でも見ているのかと思ったが、これは目の前に起きている現実だ。ガラス越しに携帯で写真を撮るとそのシャッター音に驚いて、子猫はするすると器用に木を登ってコンクリートの塀に飛び乗り、その塀をスタスタと伝って歩き去って見えなくなった。
僕は携帯のスクリーンに写った子猫の姿を見つめた。指先で画像を大きくしたり、明るく加工してみたが、見れば見るほどポチにそっくり。写真集の中の小さな頃のポチが、表紙から抜け出してきたかのようだ。
<2014年6月13日(金)>
朝、9時過ぎに病院行くもA先生おらず一旦帰宅。よだれ、その後黄色い胃液を吐く。ちょっと落ち着く。楽になった?A先生を待つ。10時半に再び病院へ。診察台の上で失禁、でもこれでかなりおなかが楽になった?腎臓の数値が非常に悪いからその通りの症状が出ている。正直やれることがない、と。体重はなぜか今回も変わらず4.8キロ、それほどひどい脱水でもないらしい。昨日200mlちょっと輸液したことを伝えると、数値を調整するために朝の診療では輸液を入れないことに。吐き気止めの注射2本とステロイド?もう1本黄色い注射を。フォルテコール半分と心臓の動きを良くする薬半錠。夕方もう一度通院することに。
(注射料2100円/内服薬500円/合計2808円)
帰宅後唾液のような透明なものを吐いて、しかししばらくは落ち着く。15分間隔でえづきはあるが、目をつぶって休めているように見える。夕方にもう一度A先生に会えるのが救い。泣いてるヒマはないが涙が出てくる。この感情はなにか。15時くらいから吐き気が増えてきた。5分間隔。ノドの下、胸をさすると気持ち良さそうにする。断続的に頭を沈めて休む。そして吐き気で頭をあげる。
今日二回目の午後6時半の診療。顔が少ししっかりした?と僕も思うし先生も言う。
栄養入りの輸液注射を2本と吐き気止め2本。飲み薬も同じだけ。「治ってくれよ〜」と先生。願う。
(注射料2800円/合計3024円)
帰宅後唾液のような液体をまた吐く。これでかなり薬も吐いてしまったのでは?と思うが、その後落ち着き、休む。しばし仮眠。真夜中の2時、吐き気が止まらないためやむなく24時間やっている救急病院を探して車を飛ばす。血液検査、そして吐き気止めを2本。腎臓の数値は前週よりはマシ?帰宅後また少し吐き、その後落ち着く。5時頃から1階へ。窓際。ソファの下。好きにさせる。オシッコ。朝7時に二階寝室へ。日向の窓際で外を眺める。吐き気減って幾分穏やか。
(夜間診療6800円/血液検査2500円/注射2500円/合計12744円)
<2014年6月14日(土)>
朝の病院で昨晩のことを報告。真夜中でもしつこく電話を鳴らせば誰かが対応してくれるとのこと。黄色い輸液には少し栄養入りか。吐き気止め2本、ともう一本?いつも一本余計におまけしてくれる。錠剤の胃薬は自分で。フォルテコールと心臓の薬はまだあげられず。帰宅して、相変わらず波があり苦しそう。
(注射料2100円/内服薬900円/合計3240円0
知人から紹介しただいた自然療法の動物病院へ。1時間弱の車の長旅。予想に反して佇まいはティピカルなクリニック。ホメオパシーについて非常にわかりやすい話でいろいろ腑に落ちる部分も。注射を5種ほど。腎臓、肝臓、腸の動き、エネルギーの流れを助長するものなど。ホワイトボードの図を使っての説明は明快。ポチは疲れて眠るような顔。ポチの吐き気による空咳のようなものは腸から上がってきたガスのせい。ハーブウォーターのような薬。明日も昼前に来ることに。新しい始まり。
(初診料10000円/検査15000円/内用薬4000円/合計31320円)
帰路、かかりつけの病院へ。4.65キロ。診察時間過ぎても対応してくれて感動する。
肝臓のことも考えて腎臓の治療をしてくれている。吐き気止め。流動食を処方。
(注射料3500円/合計3780円)
帰宅。ポチ、いつものポチのよう。しっぽをあげて歩く。正直驚いた。嬉しい!水を飲むかと思ったが寸前でやめる。庭にも出る。葛湯をぴちゃぴちゃと舐めさせる。しっぽをあげて歩く。ソファを居場所の定位置にして、昨日までとは全然違う。さあ頑張ろう。穏やかに寝るポチにつられ自分も久しぶりに寝た。しかし3時頃から吐き気で苦しむポチ。ソファの下、風呂場の前、うろうろ。あごの下をなでたり背中をさすったり気分転換に庭に出たり。ゲップを出させたくて腸の薬を半かけ、「ガフー」と一発出て少し楽になったか。ソファの上で少し落ち着いたのは4時半。
<2014年6月15日(日)>
朝は気持ち良さそうに寝る。11時半からの自然療法の動物病院、昨日同様の注射と、お話。リラックスした穏やかな時間も、後に来た患者犬の大きな鳴き声でかき乱されてしまった。帰りの車で酔ったか唾液を流す。帰宅してぐったり。もう少し頑張ろう。
(診察料2500円/皮下注射12000円✕2日分/合計29354円)
お昼過ぎにかかりつけの動物病院、4.45キロ、体温37.8度。ぐったり。たくさんの複合注射を。
帰宅後、具合悪い。昨日が嘘のように。しかし体力回復してもうちょっとトライしたい。
夕方の診療はあきらめ、輸液セットをもらいにいく。
(注射料4200円/フード1350円/合計5994円/夜の分の輸液セット注射料3500円/合計3780円)
血便のような赤いシミをトイレに発見。オシッコは3度ほど。しゃがみこんだりヨロヨロ歩いたり。好きにさせる。夜になって庭で涼む。風が気持ちいいな。気分転換して好転しような、ポチ。ポジティブなヴァイブレーションを全方向へ。血尿続く。量はこれまでより増える。日付変わる頃にぐったりしたポチに輸液。続けてがんばってもらって液状健康補助食品をシリンジで。なんとか食べてくれた。薬を飲ませるのに難儀して余計な体力を使わせて申し訳ない。ブラシでのマッサージで帳尻合わせを。気持ちよくなったのか眠る。お風呂場で。ここ数日のなかでは断続的にだけど一番寝た夜かもしれない。起きるとポチは2階寝室にあがって、よだれを流して吐き気と戦っていた。ガスを吐き出せたので階下に連れて降ろしブラシで撫でて落ち着く。その後場所を変えながらえづきをやりすごす。気持ち悪さゆえの行為だろうけどしっかり歩いている姿を寝ぼけつつ眺めた。地震が数回。朝7時、待望の太陽、庭に出て紫陽花の下で数時間とても穏やかに過ごす。