2025年06月18日

シャーとニャーのはざまでーチミママのこと(18)

6回目の通院でママンの左耳の扁平上皮がんの治療が完了した。ゴールデンウィーク直前にセカンドオピニオンを聞きにいったのが最初で、先生の説明に至極納得して手術を受ける決意して術前の検査。そして5月3日に左耳介切除の手術、翌日に退院してエリザベスカラー生活が始まって、1週間後の術跡の診断、さらにそれから1週間後に抜糸でカラー生活から解放。そのつど懸念されていたもう片方の耳や他の部位、リンパ節へのがんの転移がないことも判明。思い詰めていた気持ちが少しずつ緩んでいく感覚がありました。手術した傷跡は先生たちがびっくりするくらいきれいにふさがった。片耳がなくなったけれど聴力がなくなったわけではない。ただ、 “耳をそばだてる”ことができなくなって聞こえ方は少し変わったのかな。そのへんの感覚をママンに聞いてみたいところ。

手術から一ヶ月後に再び全身麻酔を伴う電気化学療法という治療を受けたママン、さらにその翌週に経過を見るための、都合6回目の通院で先生から「完了。バッチリ!」と言われました。正直、呆然としてしまって「え、ほんとに?」とこぼれた言葉のその先がうまく継げなかった。先生のカラッとした笑顔を見て本当なんだなと安堵のため息をつきました。4月にかかりつけの動物病院で病理検査して扁平上皮がんがわかってから約3ヶ月、心の休まるときはなかった。うれしい、本当に。

僕に奇襲をかけられてキャリーバッグに閉じ込められて車で1時間の病院への行き帰り。帰宅すると機嫌を損ねたママンは押入れ(ママンが籠もるために開放してある)に隠れてそこから出てこないという抵抗を見せるのだけど、おなかが減って「にゃー」とかぼそい声で鳴きながらリビングに戻ってくるママンがとても愛おしい。「ごめんよ」と声をかけるとくねくねと甘えたように床に転がるのをワシャワシャとブラシで撫で、素手で撫で、膝の上に抱こうとして怒られる。もう病院行かなくていいから、もうちょっと仲良くなれたらいいな。

たくさんのご支援、あたたかい言葉、応援メッセージに心から感謝を。ママンがんばった。チミちゃんも偉かった。今度は僕が誰かの手助けやサポートをできますように。

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2025年06月09日

シャーとニャーのはざまでーチミママのこと(17)

ママンが左耳切除の手術を受けた5月3日から1ヶ月と少しが経った。エリザベスカラーが外れてからのママンはとても快適に暮らせていて、シャーして甘えて「なでろ」と要求したり、たまに猫パンチで襲ってきたり。ご飯も食べて水も飲み、トイレもよくかき混ぜる。片方の耳がなくなったけれど、それ以外はまったく以前のママンに戻った。かさぶたが剥がれて出血を繰り返して不快だった耳のことを気にして掻いたり頭を振ったりすることがなくなったからQOLも上昇したと思う。

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手術が終わったその日、左耳の根本にあった大きな腫瘍を「ほぼ取り切った」と先生は自信と確信を持って明言してくれた。ほぼ=99.9%、残りのネガティヴな可能性を払拭するために術後一ヶ月のタイミングで「電気化学療法」を提案されて説明を受けました。電気化学療法=ECT: Electrochemotherapy は2000年代に導入されるようになったヨーロッパ発の治療法で、電気パルスと少量の抗がん剤を組み合わせる新しい犬や猫へのがん治療法で、高額で施設が限定される放射線治療の代替えになるものとしてとても注目されているそう。お話を伺うまでまったく知らなかった(治療法詳細についてはいろんな動物病院のHPなどに詳しく専門的に説明されているのでここでは触れないでおきます)。

4週間ぶりの通院、ママンは車のなかではずっと車窓の景色を不思議そうにその大きな瞳で眺めている。事故渋滞があったりして1時間と少しのドライブ、病院に着くとたくさんの犬猫たちの賑わい。土曜日はがん専門外来の日なので歳を重ねて長寿なワンちゃん猫ちゃんたちが多い印象。みんな懸命に生きてる。診察室に呼ばれたママン、術後の傷跡が信じられないくらいきれいだと褒められたが、それは先生たちのおかげ。「ママンちゃん、ママンちゃん」と裏声で名前を呼ばれ、くすぐったい気分なのかシャーすることもなくおとなしいママンをキリッとした表情に戻って「お預かりします」と先生。近隣のショッピングモールをうろうろしたり、レコード屋を探してみたり、コーヒーを飲んだりぼんやりしたりして時間をつぶしてママンを迎えにいくまでの長い一日。全身麻酔での治療なのでやっぱり緊張感はずっと持続、スマホをいつも握ってることに気づく。

黄昏時になって病院に戻るとちょうど先生と鉢合わせて、「ばっちり何の問題もなくうまくいきました」と笑顔で伝えられてホッとする。麻酔から覚めたママンは少しぼーっとしているけれど名前を呼ぶとこっちを向いた。4月の終わりから1ヶ月半の大きな治療の流れはこれでひと段落か、ママンは本当によくがんばった。この後は患部の赤みや腫れなど副作用がないか、治療の効果の検証評価と続きます。海外からの研修医の方たちがたくさん見学されていたのも印象的でした。これからのがん治療における電気化学療法への期待の大きさを表しているのかもしれません。

僕から奇襲をかけられてキャリーに閉じ込められて病院につれていかれたのが気に入らなくて、この何日か押し入れで寝たりしてツレないママンですが、元気でいてくれたらそれでいいよ。

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2025年05月18日

シャーとニャーのはざまでーチミママのこと(16)

5月3日に扁平上皮がんの左耳介切除手術を受けたママンは当初容態が落ち着くまで数日の入院が必要とされたのだけど、翌日4日のお昼に面会に行くと「術後の傷もきれいなので家で療養するほうがいい」ということになって連れて帰宅。それから2週間、慣れない不自由なエリザベスカラーをつけて淡々と日々を暮らすママン。処方された薬も朝晩素直に飲んでくれた。噛まれた指のことで毎日病院に通ったり、ママンの病気のこれから先のことを心配したり、眠れなくなって参ってしまったり、僕のほうがよっぽどあたふたヨロヨロしていたかもしれません。ママンはカラーをつけたまま器用に逆立ちして水を飲めるようになったり、出血と化膿でボロボロだった耳がなくなったぶん痛みや不快さが消えたからか機嫌よく身体の動きもどんどん活発になっていって、カラーがぶつからない間隔/感覚をどんどん習得していく姿に感服。日ごとにどんどん甘えるようになって、顔の痒いところを差し出してきてそこをブラシで掻いてあげるというスキンシップは僕とママンの距離をこれまで以上にぐっと縮めることになりました。

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5月17日、病院で抜糸をしてもらう日。通っている病院は車で1時間かかる埼玉にあって、ママンはキャリーバッグのなかからその大きなまん丸の目で車窓の景色を物珍しそうに眺めていました。左の額に刻まれた傷は長さにしてトータルで7センチほどか、それがいつのまにかきれいにくっついていて細胞の再生力を感じさせる。先生は「よし、傷口きれい、OK!」とパチパチと糸を外し始めた。病院ではママンは緊張しつつもとても大人しく、看護師さんたちに「かわいいかわいい」とキャーキャー言われながら撫で回されるのを僕は内心「オレひどく噛まれたんで油断しないようにね…」と思いながらニコニコ眺めるのだった。時間をかけて丁寧に抜糸がなされ、ついでに先生にママンの爪を切ってもらった。膝の上でパチパチと素直に手足を弄ばれるママンは小さくて健気でとてもかわいくて見ていて泣きそうになる。「もう仲良しだよね〜」とママンの頭を撫でる先生を見て、この人に診てもらって本当によかったなと思った。

とても嬉しいことがあった。「リンパ節へのがんの転移なし」という検査結果が出たのだ。扁平上皮がんというのは腫瘍の増殖や浸潤、転移の可能性が高い病気として知られているので、外科的手術以降、病気との“おいかけっこ”がどんなふうに続くのだろうかという未知の不安があったのが、ひとつクリアされて安堵のため息、深呼吸を何度も。僕の胸に錘のようにのしかかっていたひとつはこの不安だったのだなと気付く。本当に、すごく安心した。左耳の患部については「ほぼ完全切除」という評価、がん細胞の根っこのようなものが残っている可能性に対処する「電気化学療法」という治療が今後予定されています。もう少し。

帰宅後、カラーが外れて意気揚々としなやかに歩き回るママン。少し痩せたかな。だけどわずらわしいカラーがなくなって今日はカリカリもウェットも美味しそうに食べている。左耳がなくなったけれど人間でいう耳たぶがなくなっただけで、鼓膜はそのままなので耳が聞こえなくなったわけではありません。耳をアンテナみたいに動かして聞く素振りを思うと少しバランス感覚は変わるのかなとは思うけれど、ママンの感想を聞いてみたい。耳がなくなってからママンを毎日スケッチしてきて、その模様とか眼差しの美しさをあらためて見つめる良い機会になった。愛すべきアシンメトリー。これからも描く。ママンも、チミちゃんもね。

ママンが2週間を経て術後の傷が塞がった日、僕は指の絆創膏がようやく取れて3週間ぶりに両手で顔を洗った。僕の怪我のほうが長くかかるなんてね。猫の生命力よ。”A cat has nine lives ー猫に九生あり"とはこれ真実なり。

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2025年05月09日

シャーとニャーのはざまでーチミママのこと(15)

うちはポチ実の身体が丈夫でこの10年間ほとんど病気知らずで、仔猫時代に不妊手術をしたときもホチキスみたいな形状のもので傷を止めるだけで済んだので「エリザベスカラー」というものの猫にとっての不自由さを忘れてしまっていたというか、想像が足らなかったというか。扁平上皮がんの左耳切除手術に伴う“絶対条件”としてエリザベスカラーをつけて過ごすママンの姿がとても不憫で、毛づくろいや痒い部位をかきたくてもそれができないでいるママンの背中やおなかをブラシでなでたり、しばらく使っていなかった「ねこじゃすり」(やすりの老舗である「株式会社ワタオカ」が作っている猫用ブラシ、どなたかにいただいたものだったと思う)の細くなった先で顔のまわりをこすってあげたり、しんどいねえと声をかけるくらいしか僕のしてあげられることは、ない。

想像してみた。「人間よ、プラスティック製で頭を360度覆う大きな襟をつけて生活してみろ」と言われたらどれだけストレスフルか。喉がかわいて水を飲もうとコップを普通に唇に持っていってもゴツンとぶつかる。ご飯を食べようとしてもうまくいかない。額に流れる汗を拭おうとしても、眉尻がかゆくても全部カラーに手が当たる。スマホもパソコンも半透明のカラー越しに見ないといけなくて、きっと僕はくじけてしまってもうぐったりとふて寝するしかない。つらい。人間なら「あと10日、なんとか我慢して」って説明されたら指を折りながら腹を括れるのかもしれない。でも猫にはそういう説明ができないから、ママンの気持ちってどんなにか暗澹たるものかと思う。思い描いても計り知れない。想像が及ばない。

ここ数日ママンはケージの外で好きに過ごす時間が増えてきたので、ママンがカラーをいろんなところにぶつけないようになるべく物を置かないようにして障害物を片付けた。ママンもなんとなく嫌な思いをするのを意図的に回避しながら行動しているように感じる。エリザベスカラーに慣れることは難しくても、あきらめて受け入れることならできるのだろうか。ママンの本当の気持ちはわからない。SNS経由で、柔らかいカラーに替えてみてはどうか、良いメーカーのおすすめの商品が、とたくさんあたたかいアドバイスをいただいてとても心強いのだけど、それでも、手術のあと病院でつけてもらった今のカラーを次の通院までは外さないでおこうと決めた。

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これも事後報告になるのですが、4月の終わりにママンに指をひどく噛まれました。手術を受ける前段階の、全身麻酔を伴う一日がかりの検査を受けたママンと帰宅した後の真夜中、慣れないエリザベスカラーをつけてヨロヨロしているのを僕が後ろから抱えてサポートしようと思ったその所作のせいでパニックになって興奮してしまったママンの鋭い歯に左中指の先をガブッとやられたのです(ザクッと、というほうが近いかもしれない)。全身全霊で暴れるママン、僕の右手の甲にも爪傷が派手に刻まれて、血をダラダラ流しながらなんとかママンをケージのなかに戻した僕は、とにかく流水で数分間かけて傷を洗い流し、殺菌消毒薬を浸し、タオルを巻いて傷を強く圧迫して止血。いくつかの救急外来に電話をするも受け入れてくれるところがなかったので朝が来るのを待って一番近い外科のお医者さんに駆け込んで診てもらいました。それからほぼ1週間通って、傷の具合を注視したのだけど病院の先生曰く、猫の噛み傷で腫れも痛みも少ないのは珍しい、噛まれてすぐの初動対応が良かったのだろうということでした。僕自身はママンを興奮させてしまったことへの申し訳なさや、「これ、おれ次のライブでギター弾けるのか?」という不安、その後に迫る手術のことなんかで頭がぐるぐるして、へとへとになってしまったのだけど。先日ついに「今日で指の病院、卒業です」と先生にお墨付きをいただき、昨日ギターを弾いてみたらちゃんと弾けたので、もう大丈夫だと思ってここに出来事を綴りました。右手甲の爪の傷はタトゥーみたいでちょっとかっこいいです。今週末のライブでみんなをびっくりさせるのも、時間をかけて説明するのもどうかと思って、この端的だけど長くなってしまった文章にて失礼します。

騒然とするリビング、なにごと?と起き抜けに2階から降りてきたチミちゃんが、床に僕の指からボトボトとこぼれた血だまりを見たときの目をまん丸にしてびっくりした顔がずっと忘れられない。「飼い猫(飼い犬)に手を噛まれる」ということわざがありますが、実際の場合、猫も犬も、動物たちはなにひとつ悪くないのです。ホントごめん、ママン。

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2025年05月05日

シャーとニャーのはざまでーチミママのこと(14)

ママンの左耳の炎症がずっと良くならないまま瘡蓋ができて剥がれてまた出血して、というのを繰り返すので病院で定期的に診てもらっていたのですが、この2ヶ月たらずの間にどんどん耳の状態が悪くなってきて、それが「扁平上皮がん」とわかったのは4月中旬のことでした。

ママンのこの病気をどうするか、悩み、熟考し、眠れない夜を何日も過ごして、ホームドクターとは別のがん専門の先生によるセカンドオピニオンを信頼し、先日5月3日にママンは左耳介の切除手術を受けました。全身麻酔、タフな手術をよく頑張って、生きて目を覚ましてくれました。数日の入院が必要と言われていましたが経過が順調で翌4日にママンは帰宅。初めてのエリザベスカラー生活が不自由そうで不憫ですが、ご飯も食べ、薬も飲んでくれて、トイレもうまくできて、すごいなあと感心する。まだ眠っている時間が長いけれど、背中を撫でるとゴロゴロと喉を鳴らすのが聞こえて安心します。

ママンの左耳は根本からなくなってしまいました。先生は腫瘍はきれいに取りきったと言ってくれた。大きな傷が何針も縫われていますが、これからカラーをつけて過ごし、抜糸まで2週間、それまでに術後の経過観察があったり、それから先もいろんなことで穏やかならぬ日々となりますが、目の前のママンを見つめながら彼女にとって一番いいように考えて寄り添おうと思います。

昨日からずっとママンの顔を眺めていたので、毛を刈られて坊主頭の耳がなくなった左側の顔が可愛いカワウソに見えるくらいに見慣れてきたような気もします。傷が癒えてもっと元気になったらまたSNSにもママンの姿を投稿すると思います。このイラストは今朝、ママンを見ながら描いたものです。

検査結果次第で手術ができるかどうか不確定だったり、僕自身が心身ともヨレヨレで明確な言葉を発信することができず事後の報告となりましたが、どうかママンファンの皆様、穏やかに見守っていただけたら嬉しいです。今朝、僕が「おはよう」と声をかけたらママンは「シャー!」とあの顔をした後に眠そうな顔になって「ニャー」と可愛い声で鳴きました。

また報告します。

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2025年03月13日

シャーとニャーのはざまでーチミママのこと(13)

今年の目標のひとつに「ママンを膝の上で抱くこと」というのがあった。かろうじて撫でるくらいはできてたときに長期計画的に掲げたものだったけれど、ついにそれが叶った。ここ最近のママンの甘えっぽさについては前回書いたけれど、ママン専用のラグ(PUEBCOというブランドの、吉祥寺のVICで買える厚めのラグ)を買ってあげたことがきっかけで、夜になるとそのラグの上でごろごろ喉を鳴らしてリラックスする時間が増え、ソファに座っている僕を熱視線で見つめてくるから僕もワシャワシャと荒々しく彼女を撫で回しても逃げることなく身をくねらせて気持ちよさそうにする。

伏せの姿勢のママンの背後からわきの下に手をいれて少し持ち上げてみる。軽い…、チミの3分の2くらいの重さ。体をこわばらせることもしないママン。僕はいつもチミにやる要領で膝の上にママンを乗せてみた。キョトンとした表情のママン、僕の顔を見上げて不思議そうに首をかしげる。「え!?」っと我に返ったように四肢に力をいれて僕から飛び退いたけれど、それは確かな重さと温かさを感じる数秒間だった。その日以来ことあるごとに僕はママンを抱き上げて膝の上に乗せている。新しい目標は爪切りをすること。

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ママンは行動範囲をどんどん広げている。これまではずっとケージで寝ていたのに、真夜中に目が覚めて覗くとケージのなかにママンがいないのだ。僕は眠い目をこすりながら2階へ、するとチミが寝床のひとつにしている“ミーの巣” と名付けられたフェルトのなかに潜むママンを発見。「ちょっと、ママンそこチミちゃんの場所だからダメじゃん?」と近づくとシャー!と威嚇してくるママン、甘えと真逆の形相を見て可笑しくなって笑ってしまう。チミは“ミーの巣” を譲り、自分は“ミーの洞窟” ですやすや眠っていた。

ママンが行動範囲を広げるにつれて、チミちゃんの心的負担が増えないかを注視している。チミはベランダにも出られるし、リードをつけて庭で日向ぼっこをすることができるからストレスはそこで吐き出すのだろうか。ママンは今、全然屋外に興味を持っていないように感じる。チミとママンが顔を突き合わせているシーンをこの頃よく見かけるけれど、なんらかの交渉が行われているのかもしれない。最近チミは「えらいね、大人だね」とよく褒められる。ママンは状況に順応してどんどん変化していくし、チミもいろいろ頑張っている。本当に猫って素晴らしい生き物。

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2025年03月08日

ついにママンを膝の上に

ここ最近ママンが甘えモードなのは前回の「シャーとニャーのはざまで」に書きましたが、昨日の夜は奇跡みたいな夜でした。僕に素手でなでまわされて恍惚としているママンのわきの下に手を入れてぐいっと持ち上げる、ここまでは数回やってみたことがあったんだけど、いつもチミちゃんとやるみたいに膝の上に乗せてみた。ママンはきょとんとした顔でじっとしている。僕の顔を見上げたりして、かわいい。普通の飼い猫みたいだ。10年間孤高の通い猫だったとは思えない。5秒くらいすると「はっ!」となにかを思い出したように身を捩らせてケージにもどったけれど、またすぐ僕の足元にくる。

今年の目標をひとつ達成してしまった。次は爪切りに挑戦したい。

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2025年03月03日

シャーとニャーのはざまでーチミママのこと(12)

ママンことチミママがうちの猫になって7ヶ月が過ぎた。昨年末くらいには縮まらない距離とコミュニケーションの壁に焦りや徒労感を感じていたんだけど、その頃のことがもはや嘘みたいに、この一ヶ月でママンはめちゃくちゃ僕に甘えてくるようになった。甘えるといっても、そのクールな目つきや表情にはそんなに変化はない。ただ、そのこぼれそうに大きな瞳で僕を見つめて「撫でろ」とか「遊べ」とか「かまえ」と要求してくるのだ。とてもしつこく、である。その様子を見てチミちゃんは呆れたような顔をしてシラーっとするから「いやいや、チミ、チミが一番かわいいよ」と機嫌を取らないといけないんだけど、あの10年シャーシャー言ってきたママンがゴロゴロと喉を鳴らし、ぐにゃんぐにゃんになるまで撫で回されるなんて、想像できただろうか(今でもシャーもパンチもしっかり健在だけれど)。

ママンは完全に夜型タイプなので(昼間はだいたい寝ている)超朝型の僕が眠くなってうつらうつらするころからその甘え攻撃を見せてくる。眠いのに相手しないといけない、なかなか過酷な、しかし幸せな時間が毎晩続いている。この数日は東京にも雪が降る寒の戻り。春に向かって三寒四温を繰り返していくが、うちのリビングは毎晩あたたかい。

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2025年02月20日

シャーとニャーのはざまでーチミママのこと(11)

2.22、ニャンニャンニャンの猫の日を前に、2月20日は僕にとって「ママンをリビングで初めてなでまわした日」になった。

この半年、我が家のリビングにはママンのための大きな2階建てのケージが“鎮座”して、部屋のレイアウトなんかもずっと“非常事態”みたいな感じになっているんだけど、そここそがママンにとっての安全地帯なので片付けるわけにもいかない。ママンを素手で触ってもいいのはそのケージの中だけという暗黙のルールがあって、ケージの外にいるママンに触れようとするとシャーシャー言われて、逃げられて、警戒されるのが常だった。

それが、である。いつの間にかソファでくたびれて寝てしまった僕がその眠りから覚めたとき、ママンはケージから出て(最近ケージの外で過ごす時間が長くなった)僕の手の届く場所でぼんやり座っていた。ママン、と声をかけて手を伸ばす。ママンは大きな目をこっちに向けている。僕が瞬きのコミュニケーションをするとママンも目をパチパチとさせて、そうこうしているうちに僕の指がママンの額に当たった。ママンはよけない。額を指の先でくすぐると自分から耳を差し出してきて、とても気持ちよさそうにするから、「ええ?」と僕は体を起こして、ママンのうなじのところを親指と人差指でくすぐる。これも気持ちよさそう。「こんなことしていいの?」と今度は喉元をなでてあげた。そう、普通に飼い猫の喉をなでるように。ママンの喉はグルグルと低い響きをたたえている。

すると、コテンとママンは身を投げだしてしまう。僕は背中からおしり、また頭と耳と喉元を、それこそここぞとばかりになでまわした。こんなことするのは初めてだ。ママン、ママン、と名前を呼びながらめちゃくちゃなでまわす。ママンはそのまま体を横たえて伸びをしたりしてぐにゃぐにゃ。なに、これ、飼い猫みたいじゃん、ママン。ママン、と声をかけたところでママンはハッ!と我に返ったようにケージに飛んで戻った。そしてこっちをその大きな瞳で眺めている。

2月20日は「ママンをリビングで初めてなでまわした日」になった。僕は静かに感動している。

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2025年02月14日

シャーとニャーのはざまでーチミママのこと(10)

チミママ(ママン)がどんどんリラックスした表情を見てせくれるようになったことが嬉しい。2月になって朝、太陽のリビングに光の筋になって射す季節になった。それに気づいたママンは温かい日差しのなかで窓のほうに顔を向けて目を細めた。うちの猫になる前は屋根で昼寝をしたり一番日の当たる場所で日向ぼっこをしていたけれど、ずっと薄暗いケージのなかが彼女の安全地帯だった。半年を経て太陽のあたたかさを突然思い出したようなワクワクした顔をしている、と思った。太陽の光線が移動するのにあわせて居場所を変えて、ペロペロと毛繕いをする。猫は被毛に太陽を浴びるとビタミンDを生成してそれを舐めて取り入れる、という本当かウソかわからない説があるけれど、その様子を見ていると絶対的に体に良さそうに感じる。健康的だし柔らかくリラックスしている姿は僕の気分も穏やかにさせる。

ママンは昼間はだいたいぐっすり寝ている。声をかけるとあくびをする。警戒心はもうそんなにないけれど、顔を近づけて手を伸ばすとちゃんと(?)シャーとパンチが飛んでくるところは変わらない。耳のかさぶたはだんだん小さくなってきているけれどまだ剥がれては血が滲んでまた固まるっていうのを繰り返しているから、それだけが気がかり(薬を毎日塗っています)。トトン!と音がするとママンがケージから出てきて伸びをする。ネズミ遊びの時間だ。これが本当に飽きない。やめない。僕のほうが疲れて音を上げてしまう。

ちよだ猫まつりが迫ってきた。1年前の今頃はママンが外にいる通い猫だったなんて、遠い夢のようにも感じる。猫まつりに向けてママンをモチーフに新しいグッズをいろいろ作った(自分がほしいものを作ってしまうのです)。メインビジュアルとしてママンのいさましい顔に「I'm at home」という言葉を添えたのは「家にいる」と「くつろいでいる」というダブルミーニングを含ませたかった。ママンが、そしてチミちゃんが、あるいは僕自身があとどれくらい元気で一緒に暮らせるかは神のみぞ知ることだけど、心のなかでおまじないのように「Together Forever」と唱えているのである。

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2025年02月02日

シャーとニャーのはざまでーチミママのこと(9)

去年の8月2日にそれまで10年地域猫であり通い猫だったチミママを保護してうちのなかに入れて、今日で6ヶ月、半年が経ったことになる。あっという間だった!なんてことはもちろんなくて、ちゃんと6ヶ月分の大変なことも楽しいことも困ったことも嬉しかったことも苦しいことも、ある。

軽やかに木を登り塀を伝い、我が思いのままに自由だったかつてのママンの美しさを知っているから、一日の3分の2くらいをケージのなかで眠り続けるママンの姿を見て「家に入れたことは彼女にとって不幸なことだったんじゃないか」と思い悩んだり、コミュニケーションの難しさに苦労したり、今でも耳の傷がまだ完全に癒えないとか、いろいろあるんだけど、それでも最近(本当にここ3ヶ月くらい)は顔つきが生き生きとしてきて、遊ぶ時間も増えて、特に僕が操るネズミのおもちゃとの攻防はもう子猫なみの夢中さで驚かされる。

何より嬉しいのは「ママン」と声をかけるとハッとこっちのほうを向いてくれることだ。これは保護して最初の頃にはなかったことで、心にシャッターが降りていたのが、もうこの頃は開けっぱなしっていう感じで油断している。まだ抱きかかえたりすることはできないけれど、ヤスリ内蔵爪とぎのおかげで鋭利だった爪も丸くなったし、僕が血を流すことも減った(たまに距離を見誤って怪我することもあるけれども)。チミちゃんは相変わらず反抗期の娘みたいにママンと相対するけれど、確実にその関係は穏やかなものになってきた。気づくと二人並んで窓の外を眺めたりしている。

ママンは多分、外にいたときよりも今のほうが幸せだし楽しいし、毎日何かしら新しい面白さを発見していると思う。目をらんらんとさせて、何もかもを初めて見るような目つきで眺めるときのママンは本当に凛々しく美しい。2月は猫の月、ママンに、そしてもちろんチミにもいつも以上の感謝を捧げたい。

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2025年01月16日

シャーとニャーのはざまでーチミママのこと(8)

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前回の投稿からお正月をはさんで1ヶ月半が経った。昨年8月にチミママ(ママン)を10年の通い猫暮らしを経て保護してからまもなく半年になる。この1ヶ月半の間にママンには大きな変化があった、と僕は感じている。ようやく屋外への執念がなくなり、ケージから出て自由に徘徊し、ネズミのおもちゃで一人でも夢中で遊ぶし、僕が相手をしてあげると目をまん丸にして興奮、ネズミを追って僕の膝の上にまで登ってくるほど。僕に対する不信感が薄まり、ほとんどシャーしなくなった。シャーするのは不意打ちしたときとか、僕がしつこく「ママン、シャーは?シャーしてよ」とねだるときくらい。

チミとの関係も面白い。これまで距離をおいてママンを静観していたチミが朝型にママンとバタバタと追いかけっこをしている音で目が覚めることも多くなった。ママンはつねにチミに対してグイグイと遊ぼう遊ぼうとすり寄っていくから、ふたりの関係はチミの許容力にかかっている感じもあるけれど、それもいい方向に向かっている、と思う。猫の気持ちは猫にしかわからないから想像でしかないけれども。

ママンの左耳はずっとかさぶた→かさぶた取れてまた出血→またかさぶた→またはがれて痛々しい、というのを繰り返しているのだけど、年末に塗り薬と内服薬で様子を見ているところ。早く傷口が癒えて毛が生えそろったらな。毎日のブラッシングでツヤツヤのママンはこれまでの猫生のなかで一番美しく麗しい。もうすぐ、ママンがうちの猫になって半年。

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2024年12月02日

シャーとニャーのはざまでーチミママのこと(7)

ママンが我が家の猫になって今日12月2日で4ヶ月になった。まだ4ヶ月なのか、もう4ヶ月なのか、ちょっと時間の感覚がよくわからない。リビングに大きな2階建てのケージがドンと鎮座しているので部屋のレイアウトがいびつなまま、なんとなく仮暮らしみたいな風景のまま季節が2つ進んだことになる。このケージはポチ実を保護するときに料理家の桑原奈津子さんのお宅からお借りしたままずっとうちにあるもので(よくどこのメーカーのものかと聞かれるのですが、多分ドギーマンとかだと思います)、これまで近藤研二さん宅がウニを迎えたとき、fishing with john五十嵐くんの家にココ坊が来たときに又貸しさせてもらったのだけれど、仔猫はすぐに家に慣れるのでケージはすぐに必要なくなる。近藤さんちも五十嵐くんちも1週間かそこらしか使わなかったんじゃないかな。ママンも家に慣れてケージはいらなくなるんじゃないか淡い期待があったけれど、片付けることができないでいる。ママンにとってこのケージのなかは“安全地帯”なのである。

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8月に保護して1ヶ月くらい経ったころからケージの扉はだいたい開放されていて、ママンは自分の意志で好きなときに好きなところへ行けるわけだけれど、昼間はだいたい寝ている。“昏昏と眠る”という表現がぴったりなくらい寝ている。「もうちょっと運動したほうがいいんじゃない?」と声をかけるとジロリと僕を睨む。ブラッシングすると背伸びをして気持ちよさそうにするけれど、一日に数回、「トトン」とケージの2階から降りてくる音がしてトイレをして、ようやく夜になって部屋を徘徊する以外はずっとケージのなか。外にいた頃は木に登ったり、おもちゃで遊んだりしてたのにな…と心配になるが、とにかくママンはこのケージのなかでとても心地よさそうにしている。ゴロゴロ喉を鳴らす音を初めて聞いたときの感動を忘れない。

ところが、先月くらいからママンがネズミのおもちゃでとても良く遊ぶようになってきた。ピンクのプラスチックの棒にうさぎの皮でできたネズミが紐でくっついている、大昔からあるタイプのおもちゃ。これを僕が魅惑的に動かすとママンは大きな黒目をまんまるにさせて夢中で、飛んだり跳ねたり、なかなかの運動量で遊ぶのだ。ネズミに夢中で僕のすぐそばまで来て寝転んだりもするが、ハッと我にかえって安全地帯であるケージへ駆け戻り、またこちらを伺ってはネズミの動向に激しく反応して、とても可愛くて元気で見ていて嬉しくなる。この運動のあとママンはぐっすりよく眠る。人間と同じだ。昨日あたりからネズミ遊びを期待して目をらんらんとさせて僕を眺めるようになった。4ヶ月経って、これはなかなかの進歩だ。

ママンがびっくりするような画期的なネズミの動きを研究している。見たことないような動きを見せたい。ネズミ使い、マウスマスターになりたいと思っている。ママンのものすごいジャンプとか近々撮影できると思うのでインスタ楽しみにしていてください。

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2024年11月27日

シャーとニャーのはざまでーチミママのこと(6)

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12月を目前にしてようやく冬らしい季節がやってきた(それでも今年はずいぶんと暖かいけれど)。ママンはこれまでの10年、晴れた日も雨の日も、風の日も雪の日も、暑いときも寒いときも外で暮らしてきたのが、今年はうちのなかにいる。「今年一番の寒さ」みたいなフレーズをニュースで耳にしながらケージで眠る姿を見るとやっぱりちょっと感慨深い。

ママンが通い猫だった頃、暑さ対策っていうのはなかなか難しかったのだけど、冬の季節になってからの寒さ対策っていうのは意外とうまくいった。いつの頃からかママンが我が家の庭を寝床にするようになって、冬が訪れるとママンメゾンは防寒仕様になった。何年かかけてアップデートしていったそのシェルター、去年作ったやつは名作と言っていいだろう(上の写真)。段ボールのなかにアルミの断熱材を貼り、湿気やにおいがたまらないように網の窓が開けられている。寒さが盛りになるころには床にちょうどのサイズのホットカーペットを仕込んでふかふかの毛布を敷いた。

ママンはこのメゾンをとても気に入って、毎晩このねぐらに帰ってきて気持ちよさそうに眠った。天気のよくない寒い日なんかは一日じゅう惰眠をむさぼることも。ケージのなかで毛布をふみふみする動画をインスタにあげることも最近多いが、実は一昨年くらいからメゾンのふかふかの毛布をこねるママンの姿を僕は目撃していた。夏に比べると冬はママンにとってとても快適な季節だったと思う。「Summertime」ならぬ、「Wintertime, the living is easy」である。

僕はこの、去年作った防寒仕様のママンメゾンを捨てられないまま、今も物置に取ってある。また庭に置くと今度はチミちゃんがそこで眠るだろうか。もし誰か、通い猫ちゃんのシェルターを探している人がいたら受け継いでいくのもいいかもしれない。寒い冬が春まで続きます。もし興味のある方がいたらご一報ください。あったかいママンメゾンがあったとはいえ、今年から冬を暖房の効いた部屋で過ごせるママンは丸くなって寝ていたのが身体を伸ばして寝息を立てるようになった。それをただただ眺めている時間はとても穏やかでいい。冬の温かさがママンの心もやわらかく溶かしてほしい。

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2024年11月21日

シャーとニャーのはざまでーチミママのこと(5)

うちのお隣のお宅にはとても元気なご夫婦が暮らしていて、二人とも80歳近いのに週に何度もゴルフに出かけて元気で快活。息子さんと僕は同い年だそうでずいぶん可愛がって良くしてもらっている。11月になってすぐの頃、玄関の呼び鈴が鳴って出てみるとお隣のお母さんだった。いつも通販でまとめ買いする食材を分けてくれるのをありがたく頂く。そして「最近チミママちゃんを見れないから我が家はさびしいわ」とおっしゃった。ママンはうちとお隣を挟んだ塀の上を10年間自由に闊歩し行き来していたわけだから、お隣さんにとってもママンは見慣れた地域猫だった。夏の猛烈な暑さのなかついにママンを保護したことを報告すると大喜びして安心してくれたご夫婦だったけれど、僕がツアーで留守にするときなどはご飯をあげたりもしてもらっていたようだから、八月からの一匹の猫の不在が、逆にその存在感を際立たせたことは簡単に想像できる。

なぜママンがチミちゃんのお母さんだということがわかった経緯を知らない方も多いと思うので説明したい。2014年の9月に我が家の庭に現れたポチ実を保護して数週間後に初めてママンが塀伝いにやってきた話は最初の回に書いた。さらにその翌月、僕は近所の電信柱に探し猫の張り紙を見つける。その猫はチミと同じくらいの年齢なのでチミの兄妹に間違いないと思った僕は張り紙にかかれていた番号に思い切って電話をかけてみた。するとその仔猫はその後無事に見つかり保護された!というので嬉しくなった僕も先方も「兄妹だと思うので対面させましょう!」と盛り上がって、その仔猫を連れてうちに遊びにきてくれることになったのだ。東京で暮らして20年以上経つけれど、初めてご近所さんと仲良くしている自分に驚く。猫のおかげで。このへんの出来事は10年前に書いた「猫騒動」というカテゴリのこのあたりに詳しい。インスタのリンクが外れたりしていますがお時間あるときにお読みいただけたら。




果たしてチミちゃんとチミオ(と僕が名付けたけれど実は女の子で、先方ではソラミちゃんと呼ばれていた)は対面するわけだけれど、お互い仲良くするわけでも再会を喜ぶでもなく、猫の血縁意識というのがすぐになくなってしまうことを知ったのはこのときだった。反対に人間同士は賑やかなおしゃべりが盛り上がった。このチミオがチミママに顔も模様も瓜二つだったのでその話をすると、「その猫はこのあたりでずっと仔猫を生み続けている子です」という言葉が返ってきた。「去年も仔猫を産んで、その猫は〇〇さんが保護しました」とかなんとか、この町の猫の歴史を知る。チミもチミオも、もう一匹サビオというサビ猫もあとで登場するのだけど、みんなママンが産んだ子で間違いないという。ご近所ネットワークの猫情報ほど確かなものはない。お隣のご夫婦の家の軒下でもママンが仔猫を産んだことがある、という話も数年後に聞かされた。そう考えるとママンは何歳なのかわからなくなる。14歳だという説と、13歳という説。僕はでも、ママンはまだ12歳だと思うんだけど。

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ママンが最後に子を産んだのは2015年の春だ。身籠ったママンを心配していたらいつのまにかお腹がぺちゃんこになっていて、ご近所に住む音楽家近藤研二さんが空き家の軒先でママンと仔猫たちを見つけて教えてくれた。その年はママンと同じ模様の仔猫が2匹、チッチとミンミと名前をつけた。ママンは仔猫のすぐそばでこちらを警戒する。チミちゃんもママンにこんなふうに育てられたんだろうなと見つめた。その仔猫たちはむさしの地域猫の会に保護されて2匹とも一緒に里親が見つかって、ママンは捕獲されて不妊手術を受け、また僕らの街にリリースされて晴れて地域猫となった(その後半年間姿を消すのだけどその話はこのあたりに)。ご近所で猫を飼われているおうちとはだいたい面識があって、いつも情報交換をしている。今では当たり前のことのように感じるが、チミママにまつわる話をご近所から聞くまではこんなコミュニケーションはなかったなあと10年前を思い出す。ポチが病気になったときも天国へ旅立つときもこの町でポツンとして、とても孤独でさびしかった。今は知り合いがいっぱいいて心強い。猫が引き寄せた縁である。

ママンがチミちゃんのお母さんなのは、そういうわけなのです。(気まぐれに続く)  
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2024年11月19日

シャーとニャーのはざまでーチミママのこと(4)

ママンを保護してから1週間たって、8月8日は「世界猫の日」だった。動物愛護団体である国際動物福祉基金(International Fund for Animal Welfare:IFAW)が2002年に「International Cat Day」として制定した、人間と猫の友情を深めあうとともに猫に安全な生活を提供することを誓う日とされている。ここ数年、いつの頃からかママンが軒先でシャー!と威嚇したり、その一方でニャーとかわいい声を聞かせるインスタグラムのリールは世界中の猫好きに好まれ、コメント欄にはいろんな国の言語が書き込まれ、いわゆる「バズる」という状態だった。ママンを保護したことをお知らせするのに「世界猫の日」はうってつけだと思って、僕はようやくインスタグラムに事の経緯をポストした(Instagram)。またたく間に2.4万のいいねと無数のコメントが書き込まれて、ママンの人気をあらためて再認識。それと同時に責任感というか、本当に彼女を幸せにできるのだろうかというプレッシャーも肩にじわじわとのしかかる。

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この日はなんと初めてママンが僕の手から「Ciaoちゅ〜る」を食べた日として記憶されることになる。どんな猫でも「ちゅ〜る」にかかれば、という猫好きにとっての幻想をこの10年ママンは軽々と打ち砕いてきた。手から食べないのはもちろん、お皿に盛っても鼻を近づけることすらなかったのが、この日はどういうわけか彼女は鼻先についたちゅ〜る一滴を舐めたとたんにごくごく自然にちゅーるを食べてくれたのだ。めちゃくちゃ感動して泣きそうになって、なんの涙かこれはと可笑しかった。

毎日のブラッシングがルーティンになった。まだ皮の手袋は外せないけれど、手袋越しにその頼りないママンの身体を触れるようになってきた。腰がウィークポイントみたいで、撫でるとカクンと足を投げ出してブラッシングをさせてくれる。目を細めて気持ちよさそうにするのと、ハッ!と我に返ってシャーと怒って皮の手袋に噛みついてくるのを定期的に繰り返す。注文していたドイツ製の高級ブラシが届いた。これは僕が勝手に高級ブラシと呼んでいるだけで値段はリーズナブルな「ドイツピンブラシ」。ブラッシング時のショックを吸収するラバークッションと静電気が起きにくい木製柄で先の丸い金属製ピンが特徴。ポチ実もこれが大好きで、ママンはもう最初のひとなでからこのブラシの虜になった。

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毎日のブラッシング、ちゅ〜るを手から食べさせて、美味しいご飯をあげる。このなんていうことのないルーティンが続く日々の始まり。ママンの心も少しずつほどけてゆく?まだダメ?と一進一退。ようやく身体をまるめてこんこんと眠れるようになったのはいいことかもしれない。寝起きのちょっとボーッとしているときには素手で撫でられるようにもなった。仔猫から猫を飼うときはものすごいスピードで人馴れしたり仲良くなれたりするけれど、ママンにはママンの時間が必要。

昨日と今日が変わらないような毎日をしばらく過ごした頃に、もう僕に皮の手袋が必要なくなっていることに気づいてハッとする。気をつけないと引っかかれて血を見ることになるけどね。(気まぐれに続く)

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2024年11月18日

シャーとニャーのはざまでーチミママのこと(3)

ママンが家族になった、とは言うものの彼女の態度は固く、眼光は鋭いまま。低く唸りをあげて鳴くのを眺めて時間が過ぎてゆく。なんとかママンの心を柔らかく、少しでも気持ちが落ち着くようにしてあげられたらいいなと願って、僕は近くのホームセンターへ出かけた。確たる目的があったわけではなく、しかし、なんかママンを慰められるものはないだろうかと売り場をうろうろ。少し固めの毛が気持ちよさそうな鍋磨きを手にとって自分の顔を撫でてみる。気持ちよさそう、とカゴに放り込んだ。ペット用品売場にあったコームも買ってみよう。そしてDIY工具作業用品売り場で分厚い皮製の手袋をセレクト。ママンとコミュニーケーションを取るにはまず自分の手を守ることから始めないといけない。僕の本職は音楽家だから手は資本なのである。そしてかたいのから柔らかいのまで様々な種類のフードを購入。ママンのお気に入りを知ってご飯をたくさん食べてもらってウェイトアップさせたいから。

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2階建てのケージは1階にトイレ、そして2階に快適な布団とご飯とお水がセットされた。10年間外猫だったママンがトイレを理解できるか心配だったけれど、最初に猫砂に庭の土(ママンがトイレに使っていたあたりの土)を少し混ぜることによってその心配も杞憂に終わった。ママンにとってこのケージは、ケージ2階の布団の上はこの家のなかで唯一の安全地帯だ。だからできる限り快適にしてあげたかった。ママンはここ数年、庭に作った“ママンメゾン”と名付けた寝床で寝起きしていた。主をなくしたママンメゾンで代わりにポチ実がそこで数時間気持ちよさそうに居眠りして過ごすようになったのは大変なことばかりのこの数日のなかで心がホッとする穏やかな風景だった。

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ケージでうずくまるママンに声をかけると毎回「シャー!」と返事が返ってくる。もっと機嫌が悪いときには「パッ!」と威嚇の破裂音さえ飛んでくる(シャーには慣れたけどパッ!はちょっと凹む)。ケージの扉をあけて、買ってきた鍋磨きのブラシをかざすと猫パンチがびゅんびゅん飛んでくるので僕は皮の手袋をつけた。ようやく後頭部、いわゆる盆の窪のあたりをブラシでこするとママンは少しビクッとして、しかし身体をうずめるようにしてそのまま撫でさせてくれた。これまで10年生きてきて多分初めてのブラッシング、コーミングのはずだ。後頭部から背骨に沿って身体をブラシで撫でると困惑したような顔で、その大きな瞳で僕を見つめた。僕もドキドキしていた。調子に乗った僕はそれからママンの頭を撫でようとして思いっきり噛みつかれるのだけど、もし皮の手袋をしてなかったとしたら僕の指は血まみれに破壊され、病院送りになっていたと思う。それくらい手加減のない、獲物を殺しにきたような本気の噛みつきだった。油断できない。超こわい、ママン。

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チミが大好きなドイツ製の高級ブラシをママンにも買ってあげようとAmazonで注文した。ママンはなんとかご飯を食べてくれるようになったけれど、夜になるとまだオンオン鳴くし、その表情には悲しみや困惑が見てとれる。保護して数日経っても僕はまだSNSやブログでママンのことを伝えられないでいる。ドイツ製ブラシがママンのほつれて絡まった心も柔らかく梳かしてくれないだろうか。(気まぐれに続く)  
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2024年11月15日

シャーとニャーのはざまでーチミママのこと(2)

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ついにママンをうちの中に閉じ込めたまではよかったけれど、人馴れしていない彼女には触れないし、捕まえられない。とにかく外へ出たいママンは家中のあらゆるところに頭を突っ込んでいく。アオンアオンと赤子のような鳴き声、近隣にも聞こえてるのではないかと心配になるほど。その夜はママンの好きにさせて、疲れ果てた僕はそのままソファで寝てしまった。

翌朝、ママンを探すことからスタート。ポチ実はなに食わぬ顔で起きてきてご飯を食べている。想像していたよりもチミちゃんの心的ストレスが少なそうなで安心した。猫の親子関係・血縁意識というのは早い段階で喪失するらしいのだけど、ママン以外の猫に対しての態度と比べてチミがママンに投げる眼差しには特別な感情が含まれている、と感じる。チミもママンの行方を探しているみたいな顔。

さあこれからどうしよう。意見を仰ぐために旧知のむさしの地域猫の会の会長さんに電話をして、ママンを保護したことを伝えると「すごい!すごい!」と喜んでくれた。ママンを一度捕獲してTNRを施した立場からすると、あれから10年経って家猫になるなんて感慨深いだろう。困惑している僕のことを面白がっている感じもある。何かあったらすぐ駆けつけますから!と心強いことを言ってくれた。「まずはママンをつかまえて病院に連れていってくださいね」との指示。

ママンは寝室のベッドの、マットレスの下で固まって震えていた。そこは先代猫のポチが体調が悪くなった最期に姿を潜めた場所であり、来客があったときのチミの隠れ場所だ。猫たちにとっては特別な場所なのかもしれない。素手では捕まえられないのでなんとか隅に追い込んで、キャリーバッグのなかに誘いこんで、ようやくケージのなかにママンを移したのはもうお昼過ぎだった。最近知り合った大磯の保護猫活動グループの方ともメッセージのやりとり。「動物病院で身体についたノミもお腹のなかの虫もいっぺんに駆虫できる効果的な薬がある」とのこと。チミを保護して病院に行ったのがちょうど10年前、あれからいろんなことが格段に進歩しているんだろう。

ママンをなんとか洗濯ネットに入れた。初めての経験、これまでポチもチミも素手で抱けておとなしい猫だったからだ。キャリーバッグに入れて動物病院へ向かう。この病院でお世話になる3匹目の猫だ。お名前は?「ママンです」年齢は?「ん〜、13歳かなあ」とそのときは答えたけれど、12歳というのは本当のところではないかと今では思う。診察台のうえで体重を測ってもらうとママンの体重は3.25キロ。とても軽い。血液検査の結果をドキドキしながら待っているあいだ、ポチの頃からずっとお世話になっている院長(顔が似ているのでダライラマ先生とこっそり呼んでいる)が「今日はどうしたの?」と顔を出してくれたので「チミちゃんのお母さんを保護したんです。10年通い猫だったのを」と報告すると嬉しそうにママンの顔を覗き込んで「よく生き延びてきたね。力強い良い顔をしてる」と褒めてくれた。

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いよいよ結果発表、なんとめでたくママンはFIV(猫エイズ)もFeLV(猫白血病)も陰性、血液検査の結果も信じられないくらい優秀だった。ネットにいれたままママンの爪を切ってもらい、ノミやダニ、おなかのなかの虫に効く駆虫剤、脱水を癒す輸液に耳の炎症に効くステロイドを混ぜてもらった。洗濯ネット越しに10年の付き合いになるのに触ったことがなかったママンに両手で触れていることに気づく。とても小さくて柔らかくて、弱々しくて儚い。

帰宅してそのままケージのなかへ。洗濯ネットから解放されたママンは少し呆けたような感じ。トイレを用意してあげなくては、と鉱石系の猫砂にママンが用を足していた庭の土を混ぜてあげた。ケージの隅で固まってスイッチオフ状態のママン。呼んでも反応がない。ケージにシーツをかぶせて独りにさせてあげる。その日の夜くらいになると、ケージからカリカリとフードを食べる音が聞こえてきた。猫砂をザッザッと掻く音も聞こえてきて安心。猫の習性にあらためて感心する。

夜鳴きがすごい。眠れないくらいの音量。外に出たくて鳴いているのだ。僕もつらい。猫のおもちゃで気を紛らわせられないかと遊ばせてみるがあんまり元気なし。翌日窓際に置いていたケージをリビングの反対側に移動すべく部屋の模様替え。人も猫も辛抱強くならないといけない季節の始まり。(気まぐれに続く)

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2024年11月13日

シャーとニャーのはざまでーチミママのこと(1)

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チミママとの出会いは10年前にさかのぼる。2014年初夏に13年一緒に暮らした愛猫ポチを亡くし、意気消沈した夏を過ごして迎えた初秋、我が家の小さな庭に現れた仔猫ポチ実を保護するまでの狂騒のあとほどなくして塀の上でその涼やかな目で僕の家の灯りを見つめる猫を僕はチミママ、ママンと呼んだ。実際僕の住むエリアで数年にわたり野良猫を産み増やしているのがママンであることが判明、ポチ実の実のお母さんであるチミママはそれから娘の樣子を伺うかのように我が家の庭を頻繁に訪れることになった。猫は親離れ、子離れするのが早く、親子であるという認識はすぐになくなってしまうらしい。それでもしかし、チミとママンの間にはなにかしらの“魂の通信”のようなものがあり、僕はママンの眼差しに対峙すると「チミを連れ戻されてしまうんじゃないか」と少し怖く感じるときもあった。

翌年、また仔猫を産んだママン。僕は保護猫活動をされている知人に連絡して、2匹の仔猫と親猫ママンともども捕獲してもらった。2匹の仔猫は里親が見つかり、ママンはTNR(捕獲して不妊手術してもといた場所に戻す)された。野良猫や地域猫に関する考え方は人それぞれで「猫がかわいそうだ」と批判的な意見もあるかもしれないけれど、僕が一番いいと思った方法がそれだった。晴れて地域猫となって今後野良猫を増やすこともなくなったママンにこれでようやく堂々とご飯があげられるし、何より妊娠出産を繰り返すことがなくなったことでママンの身体的負担がなくなることが嬉しかった。しかし、その後ママンは約半年姿を見せなくなる。捕獲器で捕らえられたトラウマもあるだろうし、もう会えないのかなと思ったある日、またこつ然とママンはうちの庭に現れた。そのときの嬉しさ。チミも僕も大興奮してふたりしてガラス窓に顔を近づけたことが忘れられない。

それ以来、ママンは定期的にうちの庭にやってきてご飯を食べるようになった。僕が手を伸ばすとママンが「シャー!」と顔を般若のようにして威嚇するやりとりがいつ頃から始まったかはっきりとは覚えていないけれど、とにかくママンは野性味あふれるかっこいい猫として僕の視界に毎日現れた。夏になると蚊の問題が毎年の懸案になった。毛の少ない耳や鼻を狙って刺されたママンは蚊アレルギーで、痒くてかき壊してしまう。耳は血が出て真っ赤になり、鼻も喧嘩したみたいにボコボコに。塗り薬を塗れないかわりに病院で処方してもらった抗生剤をご飯にまぜてあげたりするけれど、6月から9月にかけてママンの姿はかなり痛々しかった。冬が来るとママンはとても元気になる。傷が癒えてまた薄い毛がはえてきて、とても美しい姿に戻るのだ。庭に作ったシェルターに「ママン・メゾン」という名前をつけて、防寒のアルミ素材とか電気アンカなどを仕込んだ。外で暮らすママンにせめてもの贅沢をさせたくて、その心地良さはママンもまんざらではなさそうで、冬から春にかけてはとても穏やかな暮らしが続く。そしてまた夏が来る、というのをこれまで何度も繰り返してきた。

2024年の夏の暑さは観測史上一番の暑さだった。みるみるうちに蚊アレルギーで見るに耐えない姿になり、食が細ってかなり痩せた。この暑さがあと2ヶ月以上続くのか…、今年でうちに通ってきて10年になるママンはどう見積もっても老猫の年齢。ママンの命を守りたい、と思って7月あたりから準備を始めてママンを保護する計画を進めた。窓を開け放った家の中にご飯をおいて誘いこんだり、ケージを用意したり。先住猫のポチ実がどう反応するか、10年野性のままのママンが人馴れするのか、外の自由な暮らしを謳歌している彼女を家に閉じ込めていいのか、など不安要素がたくさんあったけれど、ママンに生きてほしいという想いと天秤にかけて、命を選択した。果たして8月の最初の夜に、ご飯を食べて油断しているママンの背後の窓を光の速さで閉めた。うちに閉じ込めた。パニックになってうろたえるママン、アオンアオンと大きな声で鳴く。ママンがうちの猫になったとき、日付が変わって8月2日の真夜中になっていた。その不安そうな姿を眺めてママンってこんなに小さかったんだなと思った。いつの間にかママンは家のなかのどこかに隠れてしまってその晩は家庭内野良になってしまった。僕も疲れてソファで寝た。

さあ、新しい朝が来た。今日からどうしようかね、ママン。よろしくね。これからどうなるかを記録してきたいと思います。(気まぐれに続く)

*最上部の写真は保護する直前、昼間のママン。下記の写真は保護した直後のママン。最下部はうちの猫になって3ヶ月過ぎてソファでくつろぐ姿。ママンの気持ちや感情みたいなものがとても象徴的に映り込んだ3葉の写真。

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