2024年12月02日

シャーとニャーのはざまでーチミママのこと(7)

ママンが我が家の猫になって今日12月2日で4ヶ月になった。まだ4ヶ月なのか、もう4ヶ月なのか、ちょっと時間の感覚がよくわからない。リビングに大きな2階建てのケージがドンと鎮座しているので部屋のレイアウトがいびつなまま、なんとなく仮暮らしみたいな風景のまま季節が2つ進んだことになる。このケージはポチ実を保護するときに料理家の桑原奈津子さんのお宅からお借りしたままずっとうちにあるもので(よくどこのメーカーのものかと聞かれるのですが、多分ドギーマンとかだと思います)、これまで近藤研二さん宅がウニを迎えたとき、fishing with john五十嵐くんの家にココ坊が来たときに又貸しさせてもらったのだけれど、仔猫はすぐに家に慣れるのでケージはすぐに必要なくなる。近藤さんちも五十嵐くんちも1週間かそこらしか使わなかったんじゃないかな。ママンも家に慣れてケージはいらなくなるんじゃないか淡い期待があったけれど、片付けることができないでいる。ママンにとってこのケージのなかは“安全地帯”なのである。

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8月に保護して1ヶ月くらい経ったころからケージの扉はだいたい開放されていて、ママンは自分の意志で好きなときに好きなところへ行けるわけだけれど、昼間はだいたい寝ている。“昏昏と眠る”という表現がぴったりなくらい寝ている。「もうちょっと運動したほうがいいんじゃない?」と声をかけるとジロリと僕を睨む。ブラッシングすると背伸びをして気持ちよさそうにするけれど、一日に数回、「トトン」とケージの2階から降りてくる音がしてトイレをして、ようやく夜になって部屋を徘徊する以外はずっとケージのなか。外にいた頃は木に登ったり、おもちゃで遊んだりしてたのにな…と心配になるが、とにかくママンはこのケージのなかでとても心地よさそうにしている。ゴロゴロ喉を鳴らす音を初めて聞いたときの感動を忘れない。

ところが、先月くらいからママンがネズミのおもちゃでとても良く遊ぶようになってきた。ピンクのプラスチックの棒にうさぎの皮でできたネズミが紐でくっついている、大昔からあるタイプのおもちゃ。これを僕が魅惑的に動かすとママンは大きな黒目をまんまるにさせて夢中で、飛んだり跳ねたり、なかなかの運動量で遊ぶのだ。ネズミに夢中で僕のすぐそばまで来て寝転んだりもするが、ハッと我にかえって安全地帯であるケージへ駆け戻り、またこちらを伺ってはネズミの動向に激しく反応して、とても可愛くて元気で見ていて嬉しくなる。この運動のあとママンはぐっすりよく眠る。人間と同じだ。昨日あたりからネズミ遊びを期待して目をらんらんとさせて僕を眺めるようになった。4ヶ月経って、これはなかなかの進歩だ。

ママンがびっくりするような画期的なネズミの動きを研究している。見たことないような動きを見せたい。ネズミ使い、マウスマスターになりたいと思っている。ママンのものすごいジャンプとか近々撮影できると思うのでインスタ楽しみにしていてください。

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2024年11月27日

シャーとニャーのはざまでーチミママのこと(6)

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12月を目前にしてようやく冬らしい季節がやってきた(それでも今年はずいぶんと暖かいけれど)。ママンはこれまでの10年、晴れた日も雨の日も、風の日も雪の日も、暑いときも寒いときも外で暮らしてきたのが、今年はうちのなかにいる。「今年一番の寒さ」みたいなフレーズをニュースで耳にしながらケージで眠る姿を見るとやっぱりちょっと感慨深い。

ママンが通い猫だった頃、暑さ対策っていうのはなかなか難しかったのだけど、冬の季節になってからの寒さ対策っていうのは意外とうまくいった。いつの頃からかママンが我が家の庭を寝床にするようになって、冬が訪れるとママンメゾンは防寒仕様になった。何年かかけてアップデートしていったそのシェルター、去年作ったやつは名作と言っていいだろう(上の写真)。段ボールのなかにアルミの断熱材を貼り、湿気やにおいがたまらないように網の窓が開けられている。寒さが盛りになるころには床にちょうどのサイズのホットカーペットを仕込んでふかふかの毛布を敷いた。

ママンはこのメゾンをとても気に入って、毎晩このねぐらに帰ってきて気持ちよさそうに眠った。天気のよくない寒い日なんかは一日じゅう惰眠をむさぼることも。ケージのなかで毛布をふみふみする動画をインスタにあげることも最近多いが、実は一昨年くらいからメゾンのふかふかの毛布をこねるママンの姿を僕は目撃していた。夏に比べると冬はママンにとってとても快適な季節だったと思う。「Summertime」ならぬ、「Wintertime, the living is easy」である。

僕はこの、去年作った防寒仕様のママンメゾンを捨てられないまま、今も物置に取ってある。また庭に置くと今度はチミちゃんがそこで眠るだろうか。もし誰か、通い猫ちゃんのシェルターを探している人がいたら受け継いでいくのもいいかもしれない。寒い冬が春まで続きます。もし興味のある方がいたらご一報ください。あったかいママンメゾンがあったとはいえ、今年から冬を暖房の効いた部屋で過ごせるママンは丸くなって寝ていたのが身体を伸ばして寝息を立てるようになった。それをただただ眺めている時間はとても穏やかでいい。冬の温かさがママンの心もやわらかく溶かしてほしい。

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2024年11月21日

シャーとニャーのはざまでーチミママのこと(5)

うちのお隣のお宅にはとても元気なご夫婦が暮らしていて、二人とも80歳近いのに週に何度もゴルフに出かけて元気で快活。息子さんと僕は同い年だそうでずいぶん可愛がって良くしてもらっている。11月になってすぐの頃、玄関の呼び鈴が鳴って出てみるとお隣のお母さんだった。いつも通販でまとめ買いする食材を分けてくれるのをありがたく頂く。そして「最近チミママちゃんを見れないから我が家はさびしいわ」とおっしゃった。ママンはうちとお隣を挟んだ塀の上を10年間自由に闊歩し行き来していたわけだから、お隣さんにとってもママンは見慣れた地域猫だった。夏の猛烈な暑さのなかついにママンを保護したことを報告すると大喜びして安心してくれたご夫婦だったけれど、僕がツアーで留守にするときなどはご飯をあげたりもしてもらっていたようだから、八月からの一匹の猫の不在が、逆にその存在感を際立たせたことは簡単に想像できる。

なぜママンがチミちゃんのお母さんだということがわかった経緯を知らない方も多いと思うので説明したい。2014年の9月に我が家の庭に現れたポチ実を保護して数週間後に初めてママンが塀伝いにやってきた話は最初の回に書いた。さらにその翌月、僕は近所の電信柱に探し猫の張り紙を見つける。その猫はチミと同じくらいの年齢なのでチミの兄妹に間違いないと思った僕は張り紙にかかれていた番号に思い切って電話をかけてみた。するとその仔猫はその後無事に見つかり保護された!というので嬉しくなった僕も先方も「兄妹だと思うので対面させましょう!」と盛り上がって、その仔猫を連れてうちに遊びにきてくれることになったのだ。東京で暮らして20年以上経つけれど、初めてご近所さんと仲良くしている自分に驚く。猫のおかげで。このへんの出来事は10年前に書いた「猫騒動」というカテゴリのこのあたりに詳しい。インスタのリンクが外れたりしていますがお時間あるときにお読みいただけたら。




果たしてチミちゃんとチミオ(と僕が名付けたけれど実は女の子で、先方ではソラミちゃんと呼ばれていた)は対面するわけだけれど、お互い仲良くするわけでも再会を喜ぶでもなく、猫の血縁意識というのがすぐになくなってしまうことを知ったのはこのときだった。反対に人間同士は賑やかなおしゃべりが盛り上がった。このチミオがチミママに顔も模様も瓜二つだったのでその話をすると、「その猫はこのあたりでずっと仔猫を生み続けている子です」という言葉が返ってきた。「去年も仔猫を産んで、その猫は〇〇さんが保護しました」とかなんとか、この町の猫の歴史を知る。チミもチミオも、もう一匹サビオというサビ猫もあとで登場するのだけど、みんなママンが産んだ子で間違いないという。ご近所ネットワークの猫情報ほど確かなものはない。お隣のご夫婦の家の軒下でもママンが仔猫を産んだことがある、という話も数年後に聞かされた。そう考えるとママンは何歳なのかわからなくなる。14歳だという説と、13歳という説。僕はでも、ママンはまだ12歳だと思うんだけど。

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ママンが最後に子を産んだのは2015年の春だ。身籠ったママンを心配していたらいつのまにかお腹がぺちゃんこになっていて、ご近所に住む音楽家近藤研二さんが空き家の軒先でママンと仔猫たちを見つけて教えてくれた。その年はママンと同じ模様の仔猫が2匹、チッチとミンミと名前をつけた。ママンは仔猫のすぐそばでこちらを警戒する。チミちゃんもママンにこんなふうに育てられたんだろうなと見つめた。その仔猫たちはむさしの地域猫の会に保護されて2匹とも一緒に里親が見つかって、ママンは捕獲されて不妊手術を受け、また僕らの街にリリースされて晴れて地域猫となった(その後半年間姿を消すのだけどその話はこのあたりに)。ご近所で猫を飼われているおうちとはだいたい面識があって、いつも情報交換をしている。今では当たり前のことのように感じるが、チミママにまつわる話をご近所から聞くまではこんなコミュニケーションはなかったなあと10年前を思い出す。ポチが病気になったときも天国へ旅立つときもこの町でポツンとして、とても孤独でさびしかった。今は知り合いがいっぱいいて心強い。猫が引き寄せた縁である。

ママンがチミちゃんのお母さんなのは、そういうわけなのです。(気まぐれに続く)  
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2024年11月19日

シャーとニャーのはざまでーチミママのこと(4)

ママンを保護してから1週間たって、8月8日は「世界猫の日」だった。動物愛護団体である国際動物福祉基金(International Fund for Animal Welfare:IFAW)が2002年に「International Cat Day」として制定した、人間と猫の友情を深めあうとともに猫に安全な生活を提供することを誓う日とされている。ここ数年、いつの頃からかママンが軒先でシャー!と威嚇したり、その一方でニャーとかわいい声を聞かせるインスタグラムのリールは世界中の猫好きに好まれ、コメント欄にはいろんな国の言語が書き込まれ、いわゆる「バズる」という状態だった。ママンを保護したことをお知らせするのに「世界猫の日」はうってつけだと思って、僕はようやくインスタグラムに事の経緯をポストした(Instagram)。またたく間に2.4万のいいねと無数のコメントが書き込まれて、ママンの人気をあらためて再認識。それと同時に責任感というか、本当に彼女を幸せにできるのだろうかというプレッシャーも肩にじわじわとのしかかる。

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この日はなんと初めてママンが僕の手から「Ciaoちゅ〜る」を食べた日として記憶されることになる。どんな猫でも「ちゅ〜る」にかかれば、という猫好きにとっての幻想をこの10年ママンは軽々と打ち砕いてきた。手から食べないのはもちろん、お皿に盛っても鼻を近づけることすらなかったのが、この日はどういうわけか彼女は鼻先についたちゅ〜る一滴を舐めたとたんにごくごく自然にちゅーるを食べてくれたのだ。めちゃくちゃ感動して泣きそうになって、なんの涙かこれはと可笑しかった。

毎日のブラッシングがルーティンになった。まだ皮の手袋は外せないけれど、手袋越しにその頼りないママンの身体を触れるようになってきた。腰がウィークポイントみたいで、撫でるとカクンと足を投げ出してブラッシングをさせてくれる。目を細めて気持ちよさそうにするのと、ハッ!と我に返ってシャーと怒って皮の手袋に噛みついてくるのを定期的に繰り返す。注文していたドイツ製の高級ブラシが届いた。これは僕が勝手に高級ブラシと呼んでいるだけで値段はリーズナブルな「ドイツピンブラシ」。ブラッシング時のショックを吸収するラバークッションと静電気が起きにくい木製柄で先の丸い金属製ピンが特徴。ポチ実もこれが大好きで、ママンはもう最初のひとなでからこのブラシの虜になった。

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毎日のブラッシング、ちゅ〜るを手から食べさせて、美味しいご飯をあげる。このなんていうことのないルーティンが続く日々の始まり。ママンの心も少しずつほどけてゆく?まだダメ?と一進一退。ようやく身体をまるめてこんこんと眠れるようになったのはいいことかもしれない。寝起きのちょっとボーッとしているときには素手で撫でられるようにもなった。仔猫から猫を飼うときはものすごいスピードで人馴れしたり仲良くなれたりするけれど、ママンにはママンの時間が必要。

昨日と今日が変わらないような毎日をしばらく過ごした頃に、もう僕に皮の手袋が必要なくなっていることに気づいてハッとする。気をつけないと引っかかれて血を見ることになるけどね。(気まぐれに続く)

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2024年11月18日

シャーとニャーのはざまでーチミママのこと(3)

ママンが家族になった、とは言うものの彼女の態度は固く、眼光は鋭いまま。低く唸りをあげて鳴くのを眺めて時間が過ぎてゆく。なんとかママンの心を柔らかく、少しでも気持ちが落ち着くようにしてあげられたらいいなと願って、僕は近くのホームセンターへ出かけた。確たる目的があったわけではなく、しかし、なんかママンを慰められるものはないだろうかと売り場をうろうろ。少し固めの毛が気持ちよさそうな鍋磨きを手にとって自分の顔を撫でてみる。気持ちよさそう、とカゴに放り込んだ。ペット用品売場にあったコームも買ってみよう。そしてDIY工具作業用品売り場で分厚い皮製の手袋をセレクト。ママンとコミュニーケーションを取るにはまず自分の手を守ることから始めないといけない。僕の本職は音楽家だから手は資本なのである。そしてかたいのから柔らかいのまで様々な種類のフードを購入。ママンのお気に入りを知ってご飯をたくさん食べてもらってウェイトアップさせたいから。

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2階建てのケージは1階にトイレ、そして2階に快適な布団とご飯とお水がセットされた。10年間外猫だったママンがトイレを理解できるか心配だったけれど、最初に猫砂に庭の土(ママンがトイレに使っていたあたりの土)を少し混ぜることによってその心配も杞憂に終わった。ママンにとってこのケージは、ケージ2階の布団の上はこの家のなかで唯一の安全地帯だ。だからできる限り快適にしてあげたかった。ママンはここ数年、庭に作った“ママンメゾン”と名付けた寝床で寝起きしていた。主をなくしたママンメゾンで代わりにポチ実がそこで数時間気持ちよさそうに居眠りして過ごすようになったのは大変なことばかりのこの数日のなかで心がホッとする穏やかな風景だった。

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ケージでうずくまるママンに声をかけると毎回「シャー!」と返事が返ってくる。もっと機嫌が悪いときには「パッ!」と威嚇の破裂音さえ飛んでくる(シャーには慣れたけどパッ!はちょっと凹む)。ケージの扉をあけて、買ってきた鍋磨きのブラシをかざすと猫パンチがびゅんびゅん飛んでくるので僕は皮の手袋をつけた。ようやく後頭部、いわゆる盆の窪のあたりをブラシでこするとママンは少しビクッとして、しかし身体をうずめるようにしてそのまま撫でさせてくれた。これまで10年生きてきて多分初めてのブラッシング、コーミングのはずだ。後頭部から背骨に沿って身体をブラシで撫でると困惑したような顔で、その大きな瞳で僕を見つめた。僕もドキドキしていた。調子に乗った僕はそれからママンの頭を撫でようとして思いっきり噛みつかれるのだけど、もし皮の手袋をしてなかったとしたら僕の指は血まみれに破壊され、病院送りになっていたと思う。それくらい手加減のない、獲物を殺しにきたような本気の噛みつきだった。油断できない。超こわい、ママン。

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チミが大好きなドイツ製の高級ブラシをママンにも買ってあげようとAmazonで注文した。ママンはなんとかご飯を食べてくれるようになったけれど、夜になるとまだオンオン鳴くし、その表情には悲しみや困惑が見てとれる。保護して数日経っても僕はまだSNSやブログでママンのことを伝えられないでいる。ドイツ製ブラシがママンのほつれて絡まった心も柔らかく梳かしてくれないだろうか。(気まぐれに続く)  
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2024年11月15日

シャーとニャーのはざまでーチミママのこと(2)

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ついにママンをうちの中に閉じ込めたまではよかったけれど、人馴れしていない彼女には触れないし、捕まえられない。とにかく外へ出たいママンは家中のあらゆるところに頭を突っ込んでいく。アオンアオンと赤子のような鳴き声、近隣にも聞こえてるのではないかと心配になるほど。その夜はママンの好きにさせて、疲れ果てた僕はそのままソファで寝てしまった。

翌朝、ママンを探すことからスタート。ポチ実はなに食わぬ顔で起きてきてご飯を食べている。想像していたよりもチミちゃんの心的ストレスが少なそうなで安心した。猫の親子関係・血縁意識というのは早い段階で喪失するらしいのだけど、ママン以外の猫に対しての態度と比べてチミがママンに投げる眼差しには特別な感情が含まれている、と感じる。チミもママンの行方を探しているみたいな顔。

さあこれからどうしよう。意見を仰ぐために旧知のむさしの地域猫の会の会長さんに電話をして、ママンを保護したことを伝えると「すごい!すごい!」と喜んでくれた。ママンを一度捕獲してTNRを施した立場からすると、あれから10年経って家猫になるなんて感慨深いだろう。困惑している僕のことを面白がっている感じもある。何かあったらすぐ駆けつけますから!と心強いことを言ってくれた。「まずはママンをつかまえて病院に連れていってくださいね」との指示。

ママンは寝室のベッドの、マットレスの下で固まって震えていた。そこは先代猫のポチが体調が悪くなった最期に姿を潜めた場所であり、来客があったときのチミの隠れ場所だ。猫たちにとっては特別な場所なのかもしれない。素手では捕まえられないのでなんとか隅に追い込んで、キャリーバッグのなかに誘いこんで、ようやくケージのなかにママンを移したのはもうお昼過ぎだった。最近知り合った大磯の保護猫活動グループの方ともメッセージのやりとり。「動物病院で身体についたノミもお腹のなかの虫もいっぺんに駆虫できる効果的な薬がある」とのこと。チミを保護して病院に行ったのがちょうど10年前、あれからいろんなことが格段に進歩しているんだろう。

ママンをなんとか洗濯ネットに入れた。初めての経験、これまでポチもチミも素手で抱けておとなしい猫だったからだ。キャリーバッグに入れて動物病院へ向かう。この病院でお世話になる3匹目の猫だ。お名前は?「ママンです」年齢は?「ん〜、13歳かなあ」とそのときは答えたけれど、12歳というのは本当のところではないかと今では思う。診察台のうえで体重を測ってもらうとママンの体重は3.25キロ。とても軽い。血液検査の結果をドキドキしながら待っているあいだ、ポチの頃からずっとお世話になっている院長(顔が似ているのでダライラマ先生とこっそり呼んでいる)が「今日はどうしたの?」と顔を出してくれたので「チミちゃんのお母さんを保護したんです。10年通い猫だったのを」と報告すると嬉しそうにママンの顔を覗き込んで「よく生き延びてきたね。力強い良い顔をしてる」と褒めてくれた。

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いよいよ結果発表、なんとめでたくママンはFIV(猫エイズ)もFeLV(猫白血病)も陰性、血液検査の結果も信じられないくらい優秀だった。ネットにいれたままママンの爪を切ってもらい、ノミやダニ、おなかのなかの虫に効く駆虫剤、脱水を癒す輸液に耳の炎症に効くステロイドを混ぜてもらった。洗濯ネット越しに10年の付き合いになるのに触ったことがなかったママンに両手で触れていることに気づく。とても小さくて柔らかくて、弱々しくて儚い。

帰宅してそのままケージのなかへ。洗濯ネットから解放されたママンは少し呆けたような感じ。トイレを用意してあげなくては、と鉱石系の猫砂にママンが用を足していた庭の土を混ぜてあげた。ケージの隅で固まってスイッチオフ状態のママン。呼んでも反応がない。ケージにシーツをかぶせて独りにさせてあげる。その日の夜くらいになると、ケージからカリカリとフードを食べる音が聞こえてきた。猫砂をザッザッと掻く音も聞こえてきて安心。猫の習性にあらためて感心する。

夜鳴きがすごい。眠れないくらいの音量。外に出たくて鳴いているのだ。僕もつらい。猫のおもちゃで気を紛らわせられないかと遊ばせてみるがあんまり元気なし。翌日窓際に置いていたケージをリビングの反対側に移動すべく部屋の模様替え。人も猫も辛抱強くならないといけない季節の始まり。(気まぐれに続く)

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2024年11月13日

シャーとニャーのはざまでーチミママのこと(1)

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チミママとの出会いは10年前にさかのぼる。2014年初夏に13年一緒に暮らした愛猫ポチを亡くし、意気消沈した夏を過ごして迎えた初秋、我が家の小さな庭に現れた仔猫ポチ実を保護するまでの狂騒のあとほどなくして塀の上でその涼やかな目で僕の家の灯りを見つめる猫を僕はチミママ、ママンと呼んだ。実際僕の住むエリアで数年にわたり野良猫を産み増やしているのがママンであることが判明、ポチ実の実のお母さんであるチミママはそれから娘の樣子を伺うかのように我が家の庭を頻繁に訪れることになった。猫は親離れ、子離れするのが早く、親子であるという認識はすぐになくなってしまうらしい。それでもしかし、チミとママンの間にはなにかしらの“魂の通信”のようなものがあり、僕はママンの眼差しに対峙すると「チミを連れ戻されてしまうんじゃないか」と少し怖く感じるときもあった。

翌年、また仔猫を産んだママン。僕は保護猫活動をされている知人に連絡して、2匹の仔猫と親猫ママンともども捕獲してもらった。2匹の仔猫は里親が見つかり、ママンはTNR(捕獲して不妊手術してもといた場所に戻す)された。野良猫や地域猫に関する考え方は人それぞれで「猫がかわいそうだ」と批判的な意見もあるかもしれないけれど、僕が一番いいと思った方法がそれだった。晴れて地域猫となって今後野良猫を増やすこともなくなったママンにこれでようやく堂々とご飯があげられるし、何より妊娠出産を繰り返すことがなくなったことでママンの身体的負担がなくなることが嬉しかった。しかし、その後ママンは約半年姿を見せなくなる。捕獲器で捕らえられたトラウマもあるだろうし、もう会えないのかなと思ったある日、またこつ然とママンはうちの庭に現れた。そのときの嬉しさ。チミも僕も大興奮してふたりしてガラス窓に顔を近づけたことが忘れられない。

それ以来、ママンは定期的にうちの庭にやってきてご飯を食べるようになった。僕が手を伸ばすとママンが「シャー!」と顔を般若のようにして威嚇するやりとりがいつ頃から始まったかはっきりとは覚えていないけれど、とにかくママンは野性味あふれるかっこいい猫として僕の視界に毎日現れた。夏になると蚊の問題が毎年の懸案になった。毛の少ない耳や鼻を狙って刺されたママンは蚊アレルギーで、痒くてかき壊してしまう。耳は血が出て真っ赤になり、鼻も喧嘩したみたいにボコボコに。塗り薬を塗れないかわりに病院で処方してもらった抗生剤をご飯にまぜてあげたりするけれど、6月から9月にかけてママンの姿はかなり痛々しかった。冬が来るとママンはとても元気になる。傷が癒えてまた薄い毛がはえてきて、とても美しい姿に戻るのだ。庭に作ったシェルターに「ママン・メゾン」という名前をつけて、防寒のアルミ素材とか電気アンカなどを仕込んだ。外で暮らすママンにせめてもの贅沢をさせたくて、その心地良さはママンもまんざらではなさそうで、冬から春にかけてはとても穏やかな暮らしが続く。そしてまた夏が来る、というのをこれまで何度も繰り返してきた。

2024年の夏の暑さは観測史上一番の暑さだった。みるみるうちに蚊アレルギーで見るに耐えない姿になり、食が細ってかなり痩せた。この暑さがあと2ヶ月以上続くのか…、今年でうちに通ってきて10年になるママンはどう見積もっても老猫の年齢。ママンの命を守りたい、と思って7月あたりから準備を始めてママンを保護する計画を進めた。窓を開け放った家の中にご飯をおいて誘いこんだり、ケージを用意したり。先住猫のポチ実がどう反応するか、10年野性のままのママンが人馴れするのか、外の自由な暮らしを謳歌している彼女を家に閉じ込めていいのか、など不安要素がたくさんあったけれど、ママンに生きてほしいという想いと天秤にかけて、命を選択した。果たして8月の最初の夜に、ご飯を食べて油断しているママンの背後の窓を光の速さで閉めた。うちに閉じ込めた。パニックになってうろたえるママン、アオンアオンと大きな声で鳴く。ママンがうちの猫になったとき、日付が変わって8月2日の真夜中になっていた。その不安そうな姿を眺めてママンってこんなに小さかったんだなと思った。いつの間にかママンは家のなかのどこかに隠れてしまってその晩は家庭内野良になってしまった。僕も疲れてソファで寝た。

さあ、新しい朝が来た。今日からどうしようかね、ママン。よろしくね。これからどうなるかを記録してきたいと思います。(気まぐれに続く)

*最上部の写真は保護する直前、昼間のママン。下記の写真は保護した直後のママン。最下部はうちの猫になって3ヶ月過ぎてソファでくつろぐ姿。ママンの気持ちや感情みたいなものがとても象徴的に映り込んだ3葉の写真。

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