
ママンを保護して1週間と少し、慌ただしく毎日が過ぎていきますがいろんなことを忘れないように時系列的にメモを。先月くらいからリビングに2階建てのケージを用意して、そのなかにママンのご飯を置いて家のなかに誘うようにしてました。このケージは料理研究家の桑原奈津子さんからずっと借りっぱなしになっているもので、10年前チミを保護したとき、そして近藤研二さんがウニを飼い始めるとき、鎌倉molnの五十嵐家が多頭飼いを始めた時にも活躍した歴史あるケージです。あ、ペット用の飼育籠、檻を意味する「ケージ」のことを「ゲージ」という人がたくさんいるのはなんでなんだろうかとここ数日すごく不思議。なんかゲージっていう別のアイテム、突如現れた新グッズ、なんらかの由来があるのだろうか。ケージは「Cage」、ゲージって「Gauge」、編み物の編み幅とか、われわれギタリストは弦の太さのことをゲージって呼びますが、ケージはケージであり、ゲージではないのにみんなゲージっていうのがなんか気持ち悪い。間違って覚えてる人いたらケージはケージなので覚え直すといいと思います。アメリカにケイジ・ザ・エレファント(Cage the Elephant)っていうバンドがいて、それは「象を檻に入れる」っていう意味で、ゲージ・ザ・エレファントだと意味をなさないのです。全然関係ない話、失礼。
で、8月の最初の日、夜になってママンがニャンニャン鳴きながら帰ってきて、庭で毛繕いをしたりしたあとに家のなかに入ってきてケージに置かれたご飯を食べ始めた。僕がそっと窓際に移動するのに気づかないママン。じりじりと時間をかけて、窓をぴしゃっと一気に閉めたのは日付が変わって8月2日になった頃でした。ママンはオアンオアン鳴き声をあげてパニックになり大暴れ。ケージを抜け出してリビングを走り回りました。チミちゃんは2階で寝ていた。ママンはとにかく外に出たがり窓に何回も激突。そのうち退路を断たれて2階へ駆け上がっていったのでチミもびっくりしたことでしょう。で、もう夜中だしどうしようもないので僕は寝ることにして、ママンはいわゆる家野良状態で夜を過ごすことになった。
翌朝。ママンの姿はどこにも見つからず、声もしない。いろんな場所を探したけれど、いない。途方に暮れて僕はむさしの地域猫の会の猫村さん(9年前にママンをTNRしてくれた恩人)に相談。妙に嬉しそうな猫村さんは「どうしてもダメなときは私を呼んでください」と心強かった。先々月に縁のあった大磯の保護猫活動をされているTさんにも適切な指示をいただいて、とても感謝しています。はっ!と僕は10年前のことを思い出したのです。具合が悪くなった晩年のポチが姿を隠した場所は寝室のベッドの、マットレスの下のスペース。もしかしたらママンも?とマットレスをはがしあげるとそこに小さく固まったママンを発見。しかしそこでも捕まえられず、ママンはまた1階のリビングへ。僕は心を鬼にしてキャリーバッグを持ってママンを隅に追い込み、そのなかに誘い込むことに成功。
すぐに動物病院へ。昼休みだったので少しロビーで待つあいだママンは観念したように静かになっていく。初めてママンを洗濯ネットにいれて診察台のうえで体重を測ってもらうと3.25キロ。とても軽い。過酷な暮らしをしてたんだね。血液検査の結果をドキドキしながら待っているあいだにダライラマ先生(小説「猫と五つ目の季節」参照)が顔をだしてくれた。「どうしたの?」という先生、「先生、これチミちゃんのお母さんなんです。10年通い猫だった子!」というと「すごい、よく強く生きてきたねえ」と良い笑顔を見せてくれた。僕はダライラマ先生の笑顔が一番ホッとする。ママンの誕生日は保護して病院に連れてきたこの日の日付8月2日にしたが、インスタで公表した世界猫の日の8月8日「母(ハハ)」にすればよかったかなとちょっと後悔もしている。
果たしてママンはFIV(猫エイズ)もFeLV(猫白血病)も陰性、血液検査の結果も信じられないくらい優秀だった。ネットにいれたままママンの爪を切ってもらい、ノミやダニ、おなかのなかの虫に効く駆虫剤、脱水を癒す輸液に耳の炎症に効くステロイドを混ぜてもらった。洗濯ネット越しに10年の付き合いになるのに触ったことがなかったママンに両手で触れていることに気づく。とても小さいが柔らかくて儚い。帰宅してそのままケージのなかへ。洗濯ネットから解放されたママンは少し呆けたような感じ。トイレを用意してあげなくては、と鉱石系の猫砂にママンが用を足していた庭の土を混ぜてあげた。ケージの隅で固まってスイッチオフ状態のママン。呼んでも反応がない。
その日の夜くらいになると、ケージからカリカリとフードを食べる音が聞こえてきた。猫砂をザッザッと掻く音も聞こえてきて安心、そして猫の習性に感心する。夜鳴きがすごい。眠れないくらいの音量。これは近隣のおうちにも聞こえてるかもしれない。保護した翌日3日には猫のおもちゃで遊ばせてみるがあんまり元気なし。窓際に置いていたケージを移動すべくリビングの模様替え。人も猫も辛抱強くならないといけない季節の始まり。4日は鎌倉でライブだったのでうちにはチミとママンだけ。ふたりで何か秘密のお話でもして結託してくれていたらとも思う。鎌倉チームはみんな外猫を家に招いて人馴れさせた先輩ばかりなので参考になる話が多い。夜鳴きはピタッと1週間で止まるらしい。
保護して4日目から一定時間自由に家のなかで過ごさせるようにした。外を悲しそうに眺めたり、すぐに2階に行ったりする。チミは距離をとって見守っている感じ。僕はホームセンターで皮の手袋を買ってきて触ってコーミングするのをルーティンにした。革手袋せずに指を噛まれたら多分ちぎれて指が死ぬ。危険。撫でられると気持ちよさそうにするが、時間が経つとまたすぐシャーシャー言う。耐久戦。
8月8日にインスタグラムでママンを保護したことを世界に報告。あたたかい言葉をたくさんいただいて本当にありがたい。まだまだママンが人馴れするのには長い道のりだが、なによりママンの真っ赤だった耳が治ってきて、きっと多分体重ももっと増えていることだろう。大きな瞳が印象的な彼女だが、その目の表情が少しずつ優しくなってきている気がする。ママンが家のなかにいるのはとても不思議だけど、どんどん慣れてきた感覚。もうすぐ保護して10日。